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マレー半島モンスーン寄稿
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お知らせ


本日私たちのホームページをリニューアルしました。

 
シンプルながらプラナカンの美しい世界が初めて見る方にも
伝わる内容になっているのでは、と思います。

新しいホームページを是非ご覧ください。
アドレスに変更はございません。

皆様のご意見をお待ちしております。


プラナカン・シック
http://peranakan.tuzikaze.com/index.html





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シンガポールでプラナカン博物館がオープンして以来、シンガポールではプラナカンの注目度が増しています。テレビでもプラナカンのドラマなんかをやっていたり、プラナカン関連のお店も増えたりと、確実に動きを見せています。

そんなある日、日本からチエさんとニョニャ料理研究家のシェフ平岡さんが来るという話をしたら、カトン・アンティーク・ハウスのピーターさんから遊びにおいでと言われ、行ってみたらびっくり。
中にいっぱいシンガポールの芸能人がいるではないですか??



実は今度シンガポールの中国語チャンネルでもプラナカンのドラマをやるのだそうで、出演女優・男優たちに少しでもプラナカンのことを知ってもらうために、見学に来ていたのです。
うーん、中国語(マンダリン)でプラナカンのドラマ??????
他のプラナカンの人たちに話をしたら、皆頭を抱えていました。

それはさておき、女優男優の皆さん、あまりにも何も知らないので私もさすがに呆れました。
キッチンではネルソンさんが女優さんたちを相手に料理教室をしていました。まずは基本のサンバル・ブラチャンの作り方から。私はいつのまにかアシスタント代わり。Nangka Lemakという、ジャックフルーツのココナツミルク煮を作っていたのですが、女優の一人が「Nangkaって何?」と聞くので、「ジャックフルーツのこと」と教えてあげました。しかしそれまではよかったけど、「Lemakって何?」というのには耳を疑いました。

シンガポール、マレーシアに在住の皆さんなら、Nasi Lemakはご存知ですよね?基本中の基本です。Lemakとはマレー語でおもに「ココナッツミルクなどでこってり」の意味があります。「Nasi Lemakってあるでしょ?」と思わず言ってしまいました。彼女、まさか日本人にいわれているとは思わなかったでしょうね。

現代のシンガポール人はここまで来ています。「ドラマ大丈夫かしら?」と思ってしまいました。
でも皆あっけらかんとして楽しんでおり、女優だからってつんつんせず、とてもフレンドリーな人たちばかりでした。

ちなみにシンガポールの芸能界というのは、日本のとはかなり違っており、メディアコープというテレビ局組織があり、女優男優タレントは皆ここの社員の扱いになるのです。まあそういうわけで、「天上の人」というほど、遠い存在でもないのかもしれませんね。

しかし、記念撮影を頼んだら、さすが女優の皆さん、即座にポーズが決まるのです。さっと体の角度を変えるのです。これはプロだな、と思いました。

ちなみにネルソンさんは私たちの本でも紹介していますが、いろいろ事情があって今後料理教室はできないそうです。残念ですね。

それにしても我らが平岡さん(写真一番右の黒いシャツ)、女優たちに負けてません。
マラッカといっしょに世界遺産になったペナン。
地元の人たちは(プラナカンだけかも?)結構冷めているそうです。

ジャーナリストで歴史建築保存活動に積極的なサルマさんも「ユネスコがお金をくれると思ったら大間違い」と警鐘しています。地元の人のなかには、「これでペナンやマラッカの不動産価格が上がる」なんて勘違いしている人もいるんだそうです。

IMG_7281.jpgさて、ペナンの友人のもう一人、クバヤテイラーのキムさんの娘さん、イアンさんにスポットを当てた記事がスター誌に掲載されました。
http://thestar.com.my/metro/story.asp?file=/2008/7/20/sundaymetro/1586974&sec=SundayMetro

東京でファッションの勉強をされたイアンさんは日本語もペラペラ。でもそんな彼女はペナンの女番長みたいな人で、たくさんの武勇伝があります。間違ったことが嫌いなので、間違っていると思ったら誰に対してもはっきりという(そういう武勇伝がいっぱい)。その実、彼女はとても気遣いの出来る人。私はそんな彼女が大好きです。


写真)刺繍をするキムさんと横で見守る娘のイアンさん(右隣のピンクのクバヤ)

IMG_8338.jpgお母さんのキムさんは、仕事一筋の職人さん。一日3時間睡眠も珍しくなく、寝ても覚めてもクバヤのことばかり。私たちが先月ペナンに到着した日、キムさんは私たちをもてなしてくれたあと、できたクバヤをクアラルンプールのお客さんにどうしても手渡ししたいと深夜バスでクアラルンプールへ向かいました。なんとその翌日の昼にはペナンに戻って来て、「ああ、お腹すいた」と言って、私たちをディナーに連れてってくれたのです。いつ寝たんだ?75歳の高齢のおばあさんが、ですよ?? 家族の人たちが「DHLで届けてもらったらいいでしょ?」といくらいっても聞かない。「私はそういう今風なやり方は嫌い」といって、意地でも遠路かまわず出かけて行くのです。
ディナーを終えると、すぐにソワソワし始めます。ミシンに向かいたくて仕方がないのです。キムさんは「仕事ができなくなったら、私は死ぬ」と言っていますが、大げさではありません。マレーシアの王室、政府VIPはおろか、インドネシアやシンガポールの要人たちからも注文を受ける彼女は、マスコミの取材やらパーティやらでひっぱりだこでもありますが、そういう派手な舞台が苦手で興味もなく、ミシンにむかえない時間が長くなると本当にイライラしはじめるのです。私はここまでワーカホリックな人を見たことがありません。

そんなお母さんを見て育ち、尊敬しているイアンさんも最近やっとお母さんに腕を認めてもらえるようになったそうです。現代っ子の彼女は「クレイジーなママ」の真似は私にはとても無理、と正直に認めていますが、ママと同じ目的に向かっているつもり、と語ります。

一点もので仕上げるクバヤ、労力と時間がかかるため、お金儲けにはならないと言います。
しかしお母さんを全面的に信頼し、サポートしてくれた故ダティン・スリ・エンドンさん(アブドゥラー・バダウィ首相夫人)の「ニョニャクバヤの文化を後世につなげてほしい」という遺言にも応えるため、イアンさんもあえてこのイバラの道を選んだそうです。彼女の努力が報われる日が近いことを祈ります。

Kim Fashion
170-4-77, Gurney Plaza, Penang, Malaysia
Tel: +604-226 6110
しばらくご無沙汰しておりました。
私MIKIは約3週間タイ南部旅行をさせていただきました。

IMG_7479.jpg今回の旅行は半分取材で、一番の目的は以前読者の方からもご案内いただいていたプーケットのプラナカンの調査です。礼儀を重んじるタイで、とくに年配の人たちに話を聞く機会が多かったため、両手を合わせて「サワディカ〜、コップンカ〜」の毎日でした。





IMG_7547.jpgタイ政府観光局長やプーケット・プラナカン協会の皆様には惜しみないご協力を賜り、毎日有無をいわさずあちこち連れ回されて(?)有意義に取材することができました。特に親切にしていただいたのは地元の助教授で歴史研究家のプラニーさん(アジャーン・プラニー ー プラニー先生 と呼ばれる地元有名人)で、かなり大物ババの家なんかも公開してもらいました。


写真)プラナカン協会会長のDr Kosul とお友達で主要メンバーのリョン兄





困ったのはマレーシアやシンガポールとちがってあまり英語がお上手でない人が多いので、話を聞くのが大変でした。とくに人名がタイ名、中国名、あだな、といくつかあって、頭は混乱しっぱなしですし、単語や名称などをタイ文字ではなく欧文スペルにするのが大変でした。彼らのほとんどはタイ語がメインで(とくに南部の方言だそうです)、たま〜に若干福建語がわかる方がおられるくらいです。

プーケットではこのグループをプラナカンとは呼びません。「プラナカン」はマレー語であり、プーケットでは男も女も「ババ」と呼ばれています。で、実際にはババではない中国系のタイ国民もいっぱいいるわけで、「どう定義したらよいのですか?」ときいても、「私たちは中国人だけど、カリーを食べるの」といった、とても書物向きではない回答しか返ってこないことも多く、だんだん取材するうちに、プーケットにおいては、ババのルーツ、歴史、アイデンティティーについてまだ研究がすすんでおらず、自分たち自身もよくわかってないんだ、と感じるようになりました。

取材以前にはここのババはペナンから移住したグループだと聞いていましたが、ペナン組以外にも、他のタイ南部の都市からプーケットにやってきたグループも多く、これらのグループにプーケットが錫鉱山で湧いたときに集まってきた中国系移民の中から福建人のグループがまざりあった人たちのようです。というのも、彼らの多くに取材すると、「私は3代目だ。おじいさんは福建省出身だ」というので、「それではプラナカンじゃなくて新客同然じゃないか」と内心思いつつ取材をすすめていくと、「でもおばあさんはラノーンの出身だ。おばあさんのルーツについては辿りきれない」という答えをよく聞きました。

ご先祖たちの写真を見せていただくと、ファッション・髪型はまさにペナンのプラナカン。ペナンやプーケットが発展する以前にもタイに定住していた中国系のグループが確実に存在しており、これらのグループがペナンのババにも文化的に(衣装・食べ物など)大きく影響を与えていることは確かだと思います。ペナンを含むケダー州一帯はタイの文化圏でもあった時代もあるのですから、それは当然です。

IMG_7787.jpg プーケットタウンの町中を歩いていると、おんぼろコーヒーショップにもニョニャのおばあさんの写真などが飾ってありました。落ちぶれた、というよりも、こちらのババの人たちはさまざまな階級が幅広く存在し、衣装や食べ物などで共通の文化を持っていたのでしょう。反対にペナン、マラッカなど海峡植民地のババたちは突出して裕福な人が多く、こういう人たちが特権階級的なコミュニティーを作り、ババ=上流階級の狭義的なイメージが定着したのだと思いました。しかしもちろん、プーケットでババと呼ばれる人たちにも経済的に成功した人が多かったのは事実です。


写真上)お父上がプーケット市長だった名家タン一族のお屋敷でランチによばれ。
いかにも悪そうなこの恰幅の良いオヤジ二人、「いつも二人で仏様の話ばかりしてるんだ」と真顔で言う・・・。祖父が錫鉱山で億万長者になったそう。その祖父には往年日本人の第2夫人がいて、大変良く面倒を見てくれたのだそう。それを見てその息子(市長になった人)も日本までいって「お嫁さん募集」の広告を新聞に出したんだとか。玉の輿のチャンス、逃したね(笑)。


とにかく印象的だったのは、プラニー先生が「私たちは先祖に感謝しているの。数十日間という長くて危険な船旅を乗り越えてタイに移住してくれた先祖たちにね。このご先祖様たちが移住していなかったら、今頃私たちは中国で悲惨な暮らしをしていたかもしれない。それに移住先がもしビルマやフィリピンだったらどんなことになっていたことか?」という言葉です。今のビルマ(ミャンマー)はご存知のように政情不安定で非人道的なことがおきてますよね。フィリピンやインドネシアでは中国系移民はたびたび虐殺の憂き目にあってきました。彼女たちは他のタイ国民同様にタイ国王と女王を愛しており、この二人のおかげで自分たち中国系も平和に暮らすことができるのだ、と語っていました。

言葉の問題こそあれ、今回ほど楽な取材はありませんでした。プーケットのババたちはフレンドリーで、温厚な人ばかり。さすがタイ、おもてなしの国、来てすぐ初めからもてなされたのはここが初めてです。コップンカ〜
只今テレビ、そして朝日新聞社フリージャーナルの両方から、マラッカのプラナカン文化が紹介されています。 

La La TVの「旅に恋して~マレーシア」では、女優の水野美紀さんが私たちの本を持ってマラッカを歩き、クバヤを着たりビーズ刺繍に触れたりと、プラナカンの文化を満喫されたようです。(残念ながら私たちはまだ見ておりません!DVD待ちです。) 

番組の中で私たちの本の中から、スイーツやクバヤ、陶器などの写真がいくつか紹介されている?と思います。

今回の番組に関しては、直接コーディネイトを賜っておりませんので、マラッカ・プラナカンの最大の見どころ「ババ・ニョニャ・ヘリテージ博物館」などの撮影が無く少し残念ですが、見た方々から綺麗だった!というお言葉をいただき、良かったな~~と思っています。 

もうひとつ朝日新聞社のフリージャーナル「ジェイヌード」の「旅物語」の中で、マラッカのプラナカン文化を紹介するインタビューを先日受けました。 

「はじめてなのに懐かしい!手にとるように街を愛でるマラッカへ」というタイトルで、プラナカンの女性好みの部分を強調した、とても素敵な記事になっておりますので、皆さん是非ご覧下さい!今月いっぱいTUTAYAなどに置いてあるそうです。 
 

La La TV「旅に恋して~マレーシア」

放送は521(水)930分~、529日(木)深夜015分~ 

その他、6月にも再放送の予定です。

詳しいことは取材など旅のブログも乗っているLa La TVのHPにアクセスして下さい。

プレゼント・コーナーでは、マラッカ・マジェスティックホテルのアロマグッツなどもいただけるようですよ。 

・朝日新聞社 女性のためのフリージャーナル「ジェイヌード」(J-nude)

515日発行。大沢たかおさんの表紙です。
詳しいことは 
http://publications.asahi.com/
『この家を見つけられるかな?』、と私たちの本で紹介したマラッカのオン・ファーミリー。

プラナカン・スタイルの手作りカリー粉で有名なお宅です。

お宅ですから看板があるわけではなく、実際に本をご覧になって 『見つけられた人』 が何人もいるようです。

ここのカリー粉は、プラナカンの美人お婆ちゃん(今年83才)の秘伝のレシピで作られており、そのブレンドを知るのはお婆ちゃんと年齢不詳の息子さんの2人。

聞くと、各地から集めたベスト・クオリティーのスパイスを丁寧に洗い、もう一度天日干しにし、フレッシュなハーブ類をいくつか混ぜ合わせて挽いているそうです。運がいいと、挽きたてほやほやのカリー粉を買うことができます。

お婆ちゃんの隅を片時も離れず、しぶとく15種類の材料を聞き出した私たちですが、ブレンドの加減まではNG!

彼等の丁寧な仕事ぶりは地元の人たちからも一目置かれており、私たちもマラッカ訪問の際には必ず立ち寄る隠れた名所です。

旧正月前に訪れた際、カリー粉とともに売っているブラチャンが超レアものだ、という新たな発見をしました。

いつもマラッカに行くと、私たちを専門的な場所に色々と案内して下さる、チェン・フーテン寺院の修復にも携わる素敵な女性(タン・チェン・ロック家の撮影時にもお骨折りいただいた方)と一緒にオン家に立ち寄った際、彼女はここのブラチャンが売り切れと知り、あ~残念!と溜め息をつきながら、お婆ちゃんにどうしてないのか?と聞くと、最高のオキアミ(粒がそろった極小のもの)が水揚げされない限り作らないんだそうな。次にできるのは多分8月ね!と、7か月も先の気の長いことを言われていました。他で市販されているものとは別格のおいしさだそうな。

発酵させて固めて天日干しにする大変な作業を、お婆ちゃんと息子さん2人だけでするのですから、なるほど7ヶ月先になるわけね~~と納得したのですが、次回、夏にマラッカにいらっしゃる方で、東南アジアの発酵調味料系にご興味のあるかたは、是非とも購入されてください。

ブラチャンは必ず炒って使います。クサヤを焼いた時のように、かなりキッチンが臭くなりますので、キッチン・ペーパーに包んでそのままフライパンで空焼きするといい、とニョニャ料理研究家の方に教えてもらいました。

炒ったブラチャンとチリを合わせてドレッシングを作り、きゅうりと塩漬けした豚、ハーブ類などをさっと合えると、ニョニャ料理の簡単サラダ 「サンバル・ティムーン」 の出来上がり。炒った蝦の香ばしさが立つ、奥深い味わいのピリ辛サラダです。
私たちの本の読者さんにディック・リーのファンがいらっしゃいますので、
おまけといっては失礼ですが、この画像を。




これはオープニングセレモニーのときのものです。
彼が司会をやりました。

ディック・リーのお父様、リー・キップ・リー氏はプラナカン協会の会長で、
いろいろと御世話になっており、ちえさんがシンガポールへ来る度に
ご挨拶に伺っていますが、毎回、ディックの日本のファンのことをとても嬉しそうに
お話されます。

日本のファンはとっても忠実でありがたい、とか、
いつだったか家の前で張っている人たちもいたが、皆礼儀正しく、
家の者を邪魔することもなく、押し掛けてくることもなく、
じっと外で待っており、家の前の石を拾って帰って行った(甲子園か?)
という話を聞きました。

それをしっかり観察しているおじいちゃん、可愛いですね。
本当に日本のファンは大切だ、と毎回聞かされます。

ちなみに両隣の女性は博物館関係者です。
  • ABOUT
プラナカンを中心に、シンガポール・マレーシアの話題をお届け。食べ物・旅行の話題が中心です。
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Miki & Chie
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シンガポールとペナンに住んで20数年、プラナカン協会会員です。ライター&コーディネート業務に携わっています。ご依頼・お問い合わせは下記ホームページからお願いいたします。
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