今、シンガポールより著者がお里帰り中にて、2人でBatikの撮影で大変お世話になったBatik研究家のお宅へお邪魔してきました。
以前ブログでも紹介した「ジャワ更紗の旅 Batik」という素晴らしい本の著者でもあり、Batikの研究集団クンプルを代表する城田杏子さん。彼女も以前シンガポールにお住まいの経験があるシンガポール通、シンガポール滞在期にバティックと出会い、のめりこんだとか。そんな彼女のご自宅は
どれを拝見させていただこうか・・・と大変迷いましたが
まず最初に、本にも登場したレアものの作家、オランダ系混血女性
エリザ・ファン・ツァイレンといえば、ヨーロッパのフラワーアレン
20世紀半ばに描かれたこのサロンは、ブルーと淡いピンクに染められ
城田さん曰く、この工房で描かれるBatikの特徴は、花びら一枚一枚の描写が花びらの輪郭に沿ってわずか0
なるほど、じっくり近づいて見ると目がくらみそうなほど細かい点描
周りを飛び交う鳥や蝶たちは実にしなやかに、伸びやかな曲線で描か
小さな部分をひとつ取っても、それぞれに特徴があり実に奥が深いBatikの世界です。
本では(去年の執筆時では)今年末にオープンするとなっていたのですが、大幅に遅れており、来年8月を目指していると訂正させてください。
昨日途中経過を見てもらうソフト・オープニングがあり、ご招待いただいたので行ってきました。実は40人限定の招待だそうで、招かれたのはプラナカン協会のお偉いさんたちや政府機関関係者、地元テレビ局のみの集まりでした。
この博物館は国立シンガポール大学のアートセンターがオープンするもので、シンガポールの富裕なプラナカン、Wee家の古いテラスハウスを修復保存し、博物館として一般公開するものです。このプロジェクトはマラッカの著名なプラナカン、タン・チェン・ロックの娘、アグネス・タンさんが400万ドルの寄付をしたことで可能となったもので、その甥にあたるピーター・リー氏(プラナカン協会会長リー・キップ・リー氏の息子で、音楽家ディック・リーの弟)が名誉館長として運営します。この博物館の案内役は私の友人でもある、プラナカン演劇の女形俳優、GTライ氏で、この家の女主人となってプラナカンの文化、しきたり、生活習慣を紹介することになっています。
このテラスハウスは私たちの本でも案内しているブレア・プレインと呼ばれるエリア、チャイナタウンの外れになるNeil Roadに建っています。このエリアはプラナカンのコミュニティーがあったところで、リークアンユー上級相の生家もすぐ並びにあるのです。大変美しいプラナカン・テラスハウスが立ち並び、素晴らしいコレクションのGuan Antiquesという骨董店もあるので、プラナカン散歩にはぴったりのエリアです。
実はもう2年ほど前からババハウスの話は聞かされており、このプロジェクトが着手されたばかりのころに長年無人だったこの家の中を見学させてもらったことがあるのですが、住んでいるのはこうもりとゴキブリとシロアリ、あとは幽霊(?)てなもので、それは凄まじい荒れぶりでした。2階に上がるのも、床が抜け落ちる可能性があるということで恐々歩いたほどでしたが、それでも、階段の欄干、壁のレリーフなど無事に残っているものがあり、こういうものを修復していく、との説明を受けました。
シンガポールの歴史的建造物は綺麗に修復されているものが多いのですが、あまりにもオリジナルの姿とは違ってしまったものが多く、中にはセンスの悪い商業施設のようなミュージアムになってしまったところもあり、あんな風になってしまうのでは、と心配でしたが、昨日見た限りでは、大学の考古学者やURA(国土開発庁のような官庁で、歴史的建築物の保存にも力を入れだした)の専門家が修復作業に関わっており、できる限りオリジナルの姿に戻せるよう、塗装や建築資材にも細心の注意が払われているようでほっとしました。たとえば、窓ガラスなども、現代のものとはちがって手作業で作られたものであり、表面がでこぼこしていたり、気泡ができていたりするが,大変薄いもので、こういうガラスをどこで入手するか、今頭を痛めているそうです。
裏庭なども発掘作業がなされ、200年以上前のミネラル・ウォーターのボトルなど、かなり古い時代の陶器などが見つかっており、こういう作業があるので遅れに遅れたのだと思います。この発掘作業、実は、戦時中にWee家の先祖が宝石類を家の下に埋めた可能性がある(プラナカンの多くが日本軍からの没収を恐れて貴金属等を地中に埋めて隠しました)ので、その発掘に時間がかかっているのだ、という噂も聞きましたが。お宝は出て来たのでしょうか??
シンガポールにもたくさんのショップハウス、テラスハウスが残っていますが、外観はなんとか保てたとしても、内部は現代住居用に修復されています。このババハウスになる家だけは改築されておらず、そして大学による丁寧な修復作業によって、オリジナルの姿のままで残る最後のプラナカン・テラスハウスになるだろうと言われています。
ソフト・オープニングはアートセンターのディレクターの挨拶とニョニャ菓子を食べながらの懇談、そしてヘルメットをかぶっての現場視察、ラストはニョニャ料理ランチで締めとなりました。クバヤ姿のニョニャたちがヘルメットを被っているのもおかしな光景でした。ババハウスのすぐ近所にニョニャ・ビストロというレストランがあり、そこでのランチとなりました。ここは、ニョニャ粽をフライにしたものが評判がよく、ニョニャクエもとてもおいしいですが、ニョニャ料理そのものはちょっとお勧めできません。ちょっとお茶とスナックに立ち寄るくらいが良いかなと思います。
来年4月には待望のACM(アジア文明博物館、アルメニア通り)がオープンします。これはプラナカン展示を中心とする博物館となります。もともと素晴らしいプラナカン・コレクションがあるところで、日本語ツアーガイドも復活するでしょう。ただ、ババハウスは今のところ、中国正月とか、清明節などプラナカンの年中行事が行われる特別期間にしかオープンしないという情報があります。おそらくこのババハウスがプラナカン協会のクラブハウスとしても機能するからなのでしょうが、外国人旅行者が訪問しやすいよう、もっと開館日を増やすように提言してみようと思っています。
詳細はこちら:
http://www.nus.edu.sg/museum/baba/index.html
(私のはマックなのでダメですが、多分ピーター・リー氏ご登場のビデオクリップがついているようですよ)
昨日のソフト・オープニングの模様はこちら:
http://www.channelnewsasia.com/stories/singaporelocalnews/view/313510/1/.html
(ビデオクリップあり)
女主人のお出迎え Peter Wee氏とニョニャ軍団
修復作業も見せてくれた プラナカン美人の二人(BebeとChristine)
ランチの模様。
私のテーブルはすごいメンツ。
レストランのオーナーや店員たちが怖がる。
中央は弁護士でプラナカン協会の主要メンバー、
チャン・エン・タイ氏。
先月日本の北海道に旅行してきたと大喜び。
その名は、オー・クー・クエ Or Koo Kueh。深い墨色をしたお葬式用の菓子です。
日本で言えば「葬式まんじゅう」に近い感じでしょうか。
しかしこちらはもっとグロテスク!
クーというからには、やはり亀の甲羅の形をしているのですが、良く見ると中央に刻まれた文様には細長い「棺おけのマーク」が入っています。
初めて見せてもらった時は、あまりの黒さと、棺おけマークのリアルさに 「おおっ!」と一歩引いてしまいました。
聞くと、葬儀のときに棺をかつぐ人に振舞われるお菓子だそうです。
それ以外には、先祖供養の時にも登場するらしいですが、それには棺おけマークがあるかどうかは分かりません。
今ではその棺おけマークの「型抜き」を持つ家も少ないらしく、お店などに注文すると、色は真っ黒なのに、アン・クー・クエと同じ「寿」マークの型抜きを使うところもあり、これはちょっと???と思う、ニセモノ・オー・クーも出回っています。
真っ白いバージョンもあるようですが、これは見たことがまだありません。
中味はアン・クーと同じ、緑豆餡です。
カトン・アンティーク・ハウスにお邪魔していた時、ちょうどお葬式があったから、、、、と食べさせてもらいましたが、お線香の香りをたっぷり吸い込んでいたオー・クーのお味は・・・・・・・・・神妙な面持ちで食べたことは確かです。
そんなこんな、日々の祭事やおしゃべりタイムに、プラナカンに欠かせなかったのがスイーツの数々。
男性も女子も大のお菓子好きだったプラナカンには、それぞれのお菓子ごとに名人がおり、菓子を交換するためだけのカラフルで素敵な器があったほどです。
そんなお菓子名人たちは、戦時中の混乱期には内職がてらに、家で作ったお菓子を売っていたこともあったそうですよ。
また私たちを驚かすのは、彼女のお母様は日本人。なんだか親近感がわいてきます。
彼女の成果は名著『The Nyonya Kebaya』にも著されており、この素晴らしい伝統文化を世界的なレベルにまで引き上げたとして高い評価をされています。なにはともあれ、これほどまでに艶やかで華麗なニョニャ・クバヤの世界を表現した本は他にありません。
左からキムさん、エンドンさん、イアンさん
彼女を支えた一人がLim Swee Kim キムさん。ずっとペナンで活躍するKelantan出身のクバヤテイラーです。kelantanは日本ではあまり知られていませんが、成熟したマレー文化の豊かな土地で、キムさんのおばあさんは王室御用達のテイラーでした。そのおばあさんから手ほどきを受けたのがキムさんです。ペナンのババと結婚してクバヤテイラーとしてペナンで活躍し、その後エンドンさんの右腕となってクバヤ展覧会、そして著書出版に大きく貢献されました。エンドンさんが亡くなったあともその遺志を継いで、地域活性センターなどでクバヤ教室を開かれ、その伝統技術を広めており、半分政府関連のクラフタンガン(国の伝統工芸を保存する団体)という組織から、人間国宝にあたる賞をもらったのが、ちょうど今年の春でした。
ご本人はとても穏やかな方でシャイ、彼女のブティックはペナンの有名なショッピングモール、ガーニー・プラザにあります。今はお嬢さんのイアンさんがお仕事をお手伝いされているのですが、このイアンさん、東京・大阪に住んでいた経験があり、日本語がペラペラ。しかも穏やかなお母様とは対照的に言いたいことをはっきり言うタイプ。しかし面倒見のいい、実はきめの細やかな優しい人です。先日私たちの本をもって大阪から来てくれた日本人がいる〜、と喜んでいました。
キムさんとイアンさんは今年クバヤ関連のイベントでオーストラリアのメルボルン、イギリスのロンドンを訪れ、実演したり作品を展示したりと活躍されたそうです。とくにロンドンでの評判が高く、注文が増えているとか。
もしペナンにいらっしゃる機会があれば、このブティックを覗いてみてください。
日本語でクバヤが作れるのはここだけです。ただ、イアンさんがいつも店頭にいるわけではありませんので、イアンさんに対応してもらいたい場合は前もってお問い合わせください。
Kim Fashion
170-4-77 Gurney Plaza
Tel: 04-226-6110
これまでにご紹介いただいた雑誌・新聞のリストをまとめます。
雑誌
GINZA
クロワッサン
アンアン
東京新聞
朝日新聞
南洋エリート(シンガポールに20年以上続く老舗的日本語雑誌)
シンガポール経済新聞
で取り上げていただきました。
ご協力いただきました各誌に厚く御礼を申し上げます。
マレーシア、シンガポールは日本では人気が低く、こういうメジャーな雑誌やメディアで
特集を組んでもらったり、取り上げていただく機会が非常に少ないです。日本ではヨーロッパ人気が依然として高く、ただでさえアジア人気は今ひとつのうえ、タイや韓国、台湾と比べ、シンガポール、マレーシアの注目度は依然として低いです。
なんとかこれらの書評で注目を集めたいところですが・・・。
それは「サロン=腰布」バティックの撮影でした。
なぜかというと布の撮影、しかも2メートルにもおよぶ布全体の撮影ともなると、ゆがみや、シワ、色味の出し方、ライトのあて方ひとつ取っても非常に難しいことが多く、プラナカンの重鎮から貴重なバティックをお借りしての撮影となると、大変な作業になるからです。
そんな時、素晴らしいバティックのコレクターでもあり、本の著者でもある「クンプル」の方々から嬉しいお言葉をいただきました。ご自宅にての撮影と、クンプルの方がお持ちの貴重なコレクターズ・アイテムのバティックの撮影を快く引き受けてくださったのです。
「クンプル(Kumpul)」というのはインドネシア語で「集まる」という意味。かつてシンガポールの国立博物館でガイドをしていた、おもに駐在員夫人で構成されているバティックの研究家集団です。
帰国されてからもずっとバティックの研究をされており、2005年に「ジャワ更紗の旅 Batik」という素晴らしい本を自費出版されました。
世間では、時として暇をもてあましている海外駐在員婦人、などと言われることもあるようですが、とんでもない! シンガポールにいればインドネシアにはすぐに飛んでいける距離。
ありとあらゆるバティックの産地に足を運び研究されてきた彼らは、そこら辺のバティック研究家をはるかにしのぐ素晴らしい知識を、現地での検証とともに本に綴っておられます。
クンプルさんの膨大なコレクションの数々は展覧会を開くほどで、コレクターには羨望の的の美しいバティックがどっさり。
その証拠に、本の写真はすべて彼らのコレクション。その内容は、日本人ならではのセンスで細部まで丁寧に書き込まれたもの。歴史から作り方、素材、使い方、産地別の特徴など、まさにいたれりつくせりの「バティックの教科書」ともいえる素晴らしい本です。
わたしたちの本では紙面の都合上、残念ながらわずか1ページというスペースにバティックの数々を詰め込みましたが、入りきれなかったバティックは色々なページにアクセントとして盛り込まれています。
中でもプラナカンが好んだプカロンガン製、愛好家羨望の的、エリザ・ファン・ツァイレンのサイン入りバティックや、ライステラスを模した米粒大の緻密な描写を施したもの、深みのある色合いに心を惹かれる三国染など、どれもが撮影に立ち会いながら、思わずうっとり見とれてしまうものばかりでした。
「ジャワ更紗の旅 Batik」は、東京では神保町のアジア文庫でロングセラーとなっています。
在庫が無くならないうちに興味のある方は注文されてはいかがでしょうか。

まず、8月9日東京新聞の夕刊、本のマニアの間で評判の高い「書籍の森」コーナーの中の「今週の本棚」にて大きく紹介されました。
私たちが書いたプラナカンの世界を他の編集者の方々(おもに男性)が読むと、どのように感じられるのか?とても興味がありました。
東京新聞でのコメントが、「砂糖菓子のような家々の扉の向こう。重厚なしつらえを背景に、印象的に浮かび上がる(中略)タイルやビーズ刺繍の室内履~~~~台所からは手間暇惜しまぬ料理の香り・・・・。」
と、プラナカン屋敷へのいざないから始まり、
「プラナカンの趣味は、洋の東西が混交し、どこかキッチュでゴージャスが魅力。日常生活へのこだわりがはぐくんだ文化~~」
と、ありました。
「砂糖菓子のような家」とは、きっとシンガポールのカトン地区に見られるような、ピンクやミントグリーンの、まさにシュガークラフトのような愛らしい色合いの家々のことだろうな~~と思いますが、プラナカンの特徴である「フェミニンさ」を表している素敵な言葉だな、と思いました。
翌、8月10日に発売された人気ファッション誌、「GINZA 9月号(マガジンハウス)」の書籍のコーナーでも、「マレー半島が生んだセレブリティ」として紹介。
8月25日に発売された「クロワッサン特大号(マガジンハウス)」の「最近出版された ぜひおすすめの本」の中では、
「世界は広い。(中略)唯一無二のプラナカン入門書は鮮やかなカラー写真のオンパレード。見てびっくり、東南アジアの新しい魅力が満載の1冊だ。」と紹介していただきました。
これからもプラナカンが築き上げたユニークな文化を中心に、マレー半島のおもしろいものを、真面目にディープに伝えて行きたいと思います!
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