本日は少し湿っぽい話しをお許し下さい。
Chieがライターへの道を歩むきっかけを作ってくれた、佐藤今日子さんというマガジンハウスの敏腕編集者が、昨年12月に他界されました。ちょうど中村勘三郎さんが亡くなった翌日でした。
彼女はマガジンハウスHanakoの名付け親の1人であり、日本に「スイーツ」や「アウトレット」という言葉を広め定着させた、その世界では知らない人がいない編集者でした。特に、 スイーツの流行仕掛け人として有名で、ティラミスやクレームブリュレ、ナタデココにカヌレ、クイニーアマンなど、皆彼女のデスクから日本国中へ羽ばたき、名前を広めていったのです。あの世界一有名なフランス人パティシエ、ピエール・エルメにして「僕の味を理解してくれた唯一の日本人」と、話したこともあるほど。
私がスイーツ特集のお手伝いをさせていただいた時、「2000個食べる」というミッションを共にクリアし、身体じゅうに味を叩き込んだ日を懐かしく想い出します。今ではスイーツの姿形を見るだけで、だいたいの味や構築が分かってしまうのは、その時に食べ込んだ経験があるからでしょう。何かを成し遂げるには「身体をはる」という事がいかに大切か、を教えてくれました。
デスクにしがみついているのを嫌い 「現場に勝るものは無し」、「百聞は一見に如かず」 というのも彼女の口癖でした。そんな彼女でしたからプラナカンにも大変な興味を持ち、シンガポールやマラッカ、ペナンに何度旅をしたことでしょう。 とはいえ、いつも尋常ではない好奇心を持ち、鋭いアンテナを張り巡らしている彼女の街歩きに付き合うのは一苦労でした。
今となっては良い思い出ですが、彼女をマラッカに案内した時、わずか100メートルほどのヒーレンSt.を歩くのに1時間。その間あちこち行方不明になり、Mikiさんと私は「またいなくなった!」とさっさと知った道を進んでいくと、暫くして 「見て見て~」 と面白そうな戦利品を手に小走りに戻ってくるのです。 灼熱の中、汗だくになっても全部自分の目で見ないと気が済まない人でした。
そんな彼女が病院の床で 「私がいなくなったら本をもらってね」 とぽつりと小さな声でささやいたのです。 「ダメ!また返してね!と言われるから。」 というやりとりも虚しく、昨年暮れにMikiさんが来日した際、優に数千冊を超す膨大な蔵書の中から選びきれないほど沢山の本を2人で譲り受けてきました。
彼女がこよなく愛した名著 「安閑園の食卓」 の初版本やレシピ本、團和子さんの 「團家の食卓」、インドネシアやインドの布の本。そして世界中を旅した彼女が 「その国ならではの料理本を必ず買う」 という事も口癖でしたので 「Cocina Sulipena」 というフィリピン・ルソン島のOld Pampangaの貴重な料理本や、エジプトの 「Arabian Cuisine」


清王朝末裔、愛新覚羅家の「食在宮廷」や「北京風俗大全」。そして韓国語も話し、韓国文化にも造詣が深かった彼女ならではの韓国料理の歴史や文化の本、などなど~分厚い本ばかり。
これでもまだほんの一部ですが、彼女の様々な想いと旅の足跡がぎっしり詰まった大切な本を、在りし日を偲びながら読み進むつもりです。
仕事に一生を捧げた彼女でしたが、今頃は大好きだったインドの地へと魂が旅をしていることでしょう。
Chieがライターへの道を歩むきっかけを作ってくれた、佐藤今日子さんというマガジンハウスの敏腕編集者が、昨年12月に他界されました。ちょうど中村勘三郎さんが亡くなった翌日でした。
彼女はマガジンハウスHanakoの名付け親の1人であり、日本に「スイーツ」や「アウトレット」という言葉を広め定着させた、その世界では知らない人がいない編集者でした。特に、 スイーツの流行仕掛け人として有名で、ティラミスやクレームブリュレ、ナタデココにカヌレ、クイニーアマンなど、皆彼女のデスクから日本国中へ羽ばたき、名前を広めていったのです。あの世界一有名なフランス人パティシエ、ピエール・エルメにして「僕の味を理解してくれた唯一の日本人」と、話したこともあるほど。
私がスイーツ特集のお手伝いをさせていただいた時、「2000個食べる」というミッションを共にクリアし、身体じゅうに味を叩き込んだ日を懐かしく想い出します。今ではスイーツの姿形を見るだけで、だいたいの味や構築が分かってしまうのは、その時に食べ込んだ経験があるからでしょう。何かを成し遂げるには「身体をはる」という事がいかに大切か、を教えてくれました。
デスクにしがみついているのを嫌い 「現場に勝るものは無し」、「百聞は一見に如かず」 というのも彼女の口癖でした。そんな彼女でしたからプラナカンにも大変な興味を持ち、シンガポールやマラッカ、ペナンに何度旅をしたことでしょう。 とはいえ、いつも尋常ではない好奇心を持ち、鋭いアンテナを張り巡らしている彼女の街歩きに付き合うのは一苦労でした。
今となっては良い思い出ですが、彼女をマラッカに案内した時、わずか100メートルほどのヒーレンSt.を歩くのに1時間。その間あちこち行方不明になり、Mikiさんと私は「またいなくなった!」とさっさと知った道を進んでいくと、暫くして 「見て見て~」 と面白そうな戦利品を手に小走りに戻ってくるのです。 灼熱の中、汗だくになっても全部自分の目で見ないと気が済まない人でした。
そんな彼女が病院の床で 「私がいなくなったら本をもらってね」 とぽつりと小さな声でささやいたのです。 「ダメ!また返してね!と言われるから。」 というやりとりも虚しく、昨年暮れにMikiさんが来日した際、優に数千冊を超す膨大な蔵書の中から選びきれないほど沢山の本を2人で譲り受けてきました。
彼女がこよなく愛した名著 「安閑園の食卓」 の初版本やレシピ本、團和子さんの 「團家の食卓」、インドネシアやインドの布の本。そして世界中を旅した彼女が 「その国ならではの料理本を必ず買う」 という事も口癖でしたので 「Cocina Sulipena」 というフィリピン・ルソン島のOld Pampangaの貴重な料理本や、エジプトの 「Arabian Cuisine」
清王朝末裔、愛新覚羅家の「食在宮廷」や「北京風俗大全」。そして韓国語も話し、韓国文化にも造詣が深かった彼女ならではの韓国料理の歴史や文化の本、などなど~分厚い本ばかり。
これでもまだほんの一部ですが、彼女の様々な想いと旅の足跡がぎっしり詰まった大切な本を、在りし日を偲びながら読み進むつもりです。
仕事に一生を捧げた彼女でしたが、今頃は大好きだったインドの地へと魂が旅をしていることでしょう。
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プラナカンを中心に、シンガポール・マレーシアの話題をお届け。食べ物・旅行の話題が中心です。
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HN:
Miki & Chie
性別:
女性
自己紹介:
シンガポールとペナンに住んで20数年、プラナカン協会会員です。ライター&コーディネート業務に携わっています。ご依頼・お問い合わせは下記ホームページからお願いいたします。
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