寒中お見舞い申し上げます。
新しい年が明けてすぐに悲しいお知らせがありました。
わたくしたちのプラナカン研究の礎を築き、公私に渡り多大なるお世話になったマラッカのババChan Kim Lay氏が1月6日にお亡くなりになりました。
享保88歳。
しきたりではお亡くなりになられた数に男性は3歳プラスするそうで、91歳という年齢になっておられましたが、百歳まで生きるとおっしゃっていたお爺様ですので残念でなりません。
6日の早朝、ご家族から訃報の知らせを受け、翌日には荷物をまとめ平岡シェフと共に夜便でマレーシアに飛びたちました。
気品あふれる面立ちに、茶目っ気たっぷりのお爺様に魅せられ、マラッカに数えきれないほど通い続けた私たち。
普通の取材では到底開かれることの無い、閉鎖的なプラナカンの世界の扉を外国人の私たちに大きく開いて下さった方でした。
東日本大震災の日にも真っ先に連絡を頂き、必要なものがあれば何でも送るから、大変ならマラッカにいらっしゃいとまでおっしゃっていただいた事、昨年の暮れ病院にお見舞いに伺った際には、病床におかれてもニョニャ粽の作り方や、ニョニャ・ババのあれこれをベッドの上からにこやかに教えて下さった姿は決して忘れることができません。
ババ・ニョニャ・ヘリテージについて、こちらのブログでも幾度となく紹介させていただきましたが、戦争時代を知るプラナカンの重鎮を失ったこと、またその暖かい人柄と優しい笑顔にもう二度と接することがきないのだという思いは、言葉では言い尽くせない深い悲しみと、そして感謝の気持ちでいっぱいです。
古き良き時代を知る華麗なるプラナカンの歴史が、ひとつ幕を閉じたような気がいたします。
本来、葬儀を語るのは甚だ失礼・不謹慎かと思いましたが、生前賑やかな事が大好きだったお爺様、ビデオカメラやフラッシュがあちこちでたかれる壮麗な葬儀でしたので少しだけお伝えさせていただきたいと思います。
お葬式は亡くなられてから5日後の10日に行われました。
数えきれないほど沢山の花々に囲まれたお通夜の席では、お爺様の大好物ニョニャ・クエが振る舞われ涙しました。
10日の葬儀にはパトカーや救急車まで出動し、道を交通止めにまでする壮大なババ・ニョニャ式のお葬式でした。
マレーシア最古の福建寺院「青雲亭(チェンフンテン)寺院」からも追悼の旗と提灯の行列がありました。
ご自宅を出た棺は、お爺様の生家である博物館の前をゆっくり通り一礼。もちろん葬儀当日は博物館もお休みです。
その後、先頭を走る棺を乗せた車の後を葬儀の楽隊と共に皆でお寺まで練り歩きました。
ご自身が多額の寄付をされたお寺の付属幼稚園児たちまでが、ずらりと沿道を囲み合掌しながらお爺様の見送りをしていた姿には深く心を打たれました。
棺を飾る極彩色を施した巨大な神輿型の埋葬品は、細部まで様々な装飾が施された特注品。今では見ることのできない特別なものだそうです。
財を成したプラナカンならではの豪華絢爛な装飾でしたが、これはそのあと燃やされてしまうんですね。
ひとつの貴重な歴史が幕を閉じる瞬間に立ち会わせて頂き、「プラナカンとは何ぞや!」と、最後の最期までご自身の身を持って教えて下さった気がして、始終溢れる涙を止めることがでませんでした。
生前お爺様から受けた沢山の恩義を忘れることなく、これからもプラナカンの世界を一人でも多くの方々に知っていただくように研鑽を重ねたいと思います。
ブログを通してではありますが、Chan Kim Lay氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
新しい年が明けてすぐに悲しいお知らせがありました。
わたくしたちのプラナカン研究の礎を築き、公私に渡り多大なるお世話になったマラッカのババChan Kim Lay氏が1月6日にお亡くなりになりました。
享保88歳。
しきたりではお亡くなりになられた数に男性は3歳プラスするそうで、91歳という年齢になっておられましたが、百歳まで生きるとおっしゃっていたお爺様ですので残念でなりません。
6日の早朝、ご家族から訃報の知らせを受け、翌日には荷物をまとめ平岡シェフと共に夜便でマレーシアに飛びたちました。
気品あふれる面立ちに、茶目っ気たっぷりのお爺様に魅せられ、マラッカに数えきれないほど通い続けた私たち。
普通の取材では到底開かれることの無い、閉鎖的なプラナカンの世界の扉を外国人の私たちに大きく開いて下さった方でした。
東日本大震災の日にも真っ先に連絡を頂き、必要なものがあれば何でも送るから、大変ならマラッカにいらっしゃいとまでおっしゃっていただいた事、昨年の暮れ病院にお見舞いに伺った際には、病床におかれてもニョニャ粽の作り方や、ニョニャ・ババのあれこれをベッドの上からにこやかに教えて下さった姿は決して忘れることができません。
ババ・ニョニャ・ヘリテージについて、こちらのブログでも幾度となく紹介させていただきましたが、戦争時代を知るプラナカンの重鎮を失ったこと、またその暖かい人柄と優しい笑顔にもう二度と接することがきないのだという思いは、言葉では言い尽くせない深い悲しみと、そして感謝の気持ちでいっぱいです。
古き良き時代を知る華麗なるプラナカンの歴史が、ひとつ幕を閉じたような気がいたします。
本来、葬儀を語るのは甚だ失礼・不謹慎かと思いましたが、生前賑やかな事が大好きだったお爺様、ビデオカメラやフラッシュがあちこちでたかれる壮麗な葬儀でしたので少しだけお伝えさせていただきたいと思います。
お葬式は亡くなられてから5日後の10日に行われました。
数えきれないほど沢山の花々に囲まれたお通夜の席では、お爺様の大好物ニョニャ・クエが振る舞われ涙しました。
10日の葬儀にはパトカーや救急車まで出動し、道を交通止めにまでする壮大なババ・ニョニャ式のお葬式でした。
マレーシア最古の福建寺院「青雲亭(チェンフンテン)寺院」からも追悼の旗と提灯の行列がありました。
ご自宅を出た棺は、お爺様の生家である博物館の前をゆっくり通り一礼。もちろん葬儀当日は博物館もお休みです。
その後、先頭を走る棺を乗せた車の後を葬儀の楽隊と共に皆でお寺まで練り歩きました。
ご自身が多額の寄付をされたお寺の付属幼稚園児たちまでが、ずらりと沿道を囲み合掌しながらお爺様の見送りをしていた姿には深く心を打たれました。
棺を飾る極彩色を施した巨大な神輿型の埋葬品は、細部まで様々な装飾が施された特注品。今では見ることのできない特別なものだそうです。
財を成したプラナカンならではの豪華絢爛な装飾でしたが、これはそのあと燃やされてしまうんですね。
ひとつの貴重な歴史が幕を閉じる瞬間に立ち会わせて頂き、「プラナカンとは何ぞや!」と、最後の最期までご自身の身を持って教えて下さった気がして、始終溢れる涙を止めることがでませんでした。
生前お爺様から受けた沢山の恩義を忘れることなく、これからもプラナカンの世界を一人でも多くの方々に知っていただくように研鑽を重ねたいと思います。
ブログを通してではありますが、Chan Kim Lay氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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- 無題
マラッカにいけば、おじいちゃんが迎えてくれるのが当たり前でした。
おじいちゃんのいない、あの博物館の前を通るなんて、考えられません。
彼は今の時代に残る、ほんの一握りの本物のババでした。ババとはなんぞやを体現しているような方でした。
マレー人と混血していればプラナカンだなんてほざいている連中とはまったく違う、生粋のババでした。
マラッカはまた大切な人を失ったのですね。
とても悲しく、そして残念でなりません。
チエさん、
日本からわざわざお見舞い、そしてお葬式に来てくれて、おじいちゃんはとても嬉しかったと思います。
私も最後のお別れができたことだけが救いです。
心よりチャン・キムレイ氏のご冥福をお祈りいたします。
おじいちゃんのいない、あの博物館の前を通るなんて、考えられません。
彼は今の時代に残る、ほんの一握りの本物のババでした。ババとはなんぞやを体現しているような方でした。
マレー人と混血していればプラナカンだなんてほざいている連中とはまったく違う、生粋のババでした。
マラッカはまた大切な人を失ったのですね。
とても悲しく、そして残念でなりません。
チエさん、
日本からわざわざお見舞い、そしてお葬式に来てくれて、おじいちゃんはとても嬉しかったと思います。
私も最後のお別れができたことだけが救いです。
心よりチャン・キムレイ氏のご冥福をお祈りいたします。
- 無題
Mikiさん
色々な意味でプラナカンらしさを全面に押し出した大変豪華で立派な葬儀でした。
神輿型の上に、極彩色の鳳凰が飛び交う巨大な埋葬品のすごさが頭に焼きついて離れません。
最後の最期まで私たちにプラナカンの伝統文化を教えて下さいましたね。
葬儀の翌日、独りでヘリテージに行ったのですが、主を失ったヘリテージは信じがたいほどの静けさに包まれていました。
お爺様が生まれたという2階の寝室のベット、幼少期に遊ばれたキッチンのアイスクリーム・マシーンなどを見ながら、さながら後ろからお爺様の声が聞こえてくるような気がして、いたたまれず早々に失礼してしまいました。しばらくはお互いヘリテージに足が向きそうもありませんね。
でもまたきっと呼ばれるように行ってしまうのでしょう・・・・
本当に残念でなりません。
気品を持ち合わせた本物のBabaは、マラッカにはあと数人、シンガポールでもわずか1人じゃありませんか??
お爺様の娘さんからのSMSでは、
He is now with Lord Buddhaとありました。
信仰心が厚かったお爺様のこと、本当にそうだと思います。
お爺様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
色々な意味でプラナカンらしさを全面に押し出した大変豪華で立派な葬儀でした。
神輿型の上に、極彩色の鳳凰が飛び交う巨大な埋葬品のすごさが頭に焼きついて離れません。
最後の最期まで私たちにプラナカンの伝統文化を教えて下さいましたね。
葬儀の翌日、独りでヘリテージに行ったのですが、主を失ったヘリテージは信じがたいほどの静けさに包まれていました。
お爺様が生まれたという2階の寝室のベット、幼少期に遊ばれたキッチンのアイスクリーム・マシーンなどを見ながら、さながら後ろからお爺様の声が聞こえてくるような気がして、いたたまれず早々に失礼してしまいました。しばらくはお互いヘリテージに足が向きそうもありませんね。
でもまたきっと呼ばれるように行ってしまうのでしょう・・・・
本当に残念でなりません。
気品を持ち合わせた本物のBabaは、マラッカにはあと数人、シンガポールでもわずか1人じゃありませんか??
お爺様の娘さんからのSMSでは、
He is now with Lord Buddhaとありました。
信仰心が厚かったお爺様のこと、本当にそうだと思います。
お爺様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
- 無題
病院のベッドで、細くなった指をゆっくり動かしながらニョニャ粽のたたみ方を教えて下さいました。何度も何度も。チーマンションの風が通る涼しい場所で、おじいちゃん、チーさんがママの料理を語っていたあの光景は忘れられません。
素敵で可愛いUncle Chanでした。
あんなに可愛くおちゃめなおじいちゃんには二度と巡り合えないでしょう。
素敵で可愛いUncle Chanでした。
あんなに可愛くおちゃめなおじいちゃんには二度と巡り合えないでしょう。
- ABOUT
プラナカンを中心に、シンガポール・マレーシアの話題をお届け。食べ物・旅行の話題が中心です。
- プロフィール
HN:
Miki & Chie
性別:
女性
自己紹介:
シンガポールとペナンに住んで20数年、プラナカン協会会員です。ライター&コーディネート業務に携わっています。ご依頼・お問い合わせは下記ホームページからお願いいたします。
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