次は永定観光の拠点となっている「永定土楼民族文化村」を訪れました。
ここには西欧の要素を取り入れた海外でも有名な「振成楼」や、優美なお屋敷作りの「福裕楼」や「光裕楼」、ミニミニ・サイズのかわいい円楼「如昇楼」などの土楼郡が、ゆったりと流れる川に沿って建てられています。
永定は盆地なので、何しろ暑い!海からの涼しさがあるアモイとは違い、内陸部独特の蒸し暑さと、ジリジリと肌を刺す強烈な太陽の下、今でも客家の人々は蓑傘に天秤棒をかついで農作業にいそしんでいました。
まず、川に沿って一番奥にある「福裕楼」を訪れました。「林一族」が莫大な資金を投じて1880年に建てたリッチな土楼です。ですからこの楼に住む人は皆、林(リム)さんです。
ここは円形ではなく、先祖を祭るお堂や住居の部分など、それぞれ独立した5つの建物が一つになり鳳凰の形を模っている五鳳楼スタイルの土楼で、特に鳳凰が羽を広げたかのように見えるのびやかな瓦屋根の美しさは見事です。
4つの中庭を持つこの土楼も巨大で、どこに「福裕楼」があるのか?と延々土塀の回りを歩いてしまいましたが、それが全部「福裕楼」の一角でした。
この土楼には正面に大きな門が3つあり、正面入り口から奥に行くに従い建物が高くなっています。プラナカン屋敷にも欠かせない豪華な彫りを施した巨大な間仕切りがお堂の横にドンとあり、その両サイドをシンメトリーに建物が配置されています。
一番高い楼が5階+屋根裏部屋の造りになっており、もちろん今でも人々が暮らしています。
狭くて急な階段を登りつめ楼の中庭を眺めると、圧倒的存在感で迫ってくる土壁の美しさに感動を覚えました。
よ~~く見ると土楼の窓が洋風でお洒落なのです。
キャンバスのような土の壁に、ニビ色に光る瓦屋根とお洒落な窓。ちょっぴり暮らしてみたくなる土楼でした。
お次は川向こうにある最小の円楼「如昇楼」へ。1901年建立の直径わずか17メートルの円楼ですが、ミニサイズとはいえ、その作りは大きな円楼と変わりはなく、子供たちの声が円楼じゅうに響き渡っていました。
永定で最も有名な土楼のひとつ「振成楼」は、1912年に5年の歳月を経て建てられた直径51メートルほどの比較的新しい円楼です。時代の流れもあり、防災を配慮してか、石のレンガを木造建築の中に巧みに取り入れています。回廊や柱にはヨーロッパ風の装飾を模倣した細工が見られ、重厚な円楼の中にハイカラな雰囲気を漂わせているのが振成楼です。
風水にも従い「八卦図」参考に、お堂をはさんで右と左に配置された井戸は陰と陽を意味するなど、この円楼の作りはすべてこの「八卦図」にしたがって配置されているそうです。
しかし、この円楼にはほとんど人は住んでおらず、今は観光以外に土楼の中は宿泊施設やおみやげ売り場、食堂になっています。最初に「承啓楼」を見てしまうと、この「振成楼」が少し物足りなく感じるのは、生活のぬくもりが感じられないからでしょうか。田舎の臭いも含めて・・・・・・・。
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