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マレー半島モンスーン寄稿
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娘のスクールホリディを利用して家族でタイの南部ハジャイ、そしてサトゥン県のリペ島へ行ってきました。
タイのハジャイへはシンガポールからも直行バスが出ており、夜行で13時間の旅 。大変長く聞こえますが、夜7時にバスに乗り込み、寝て起きれば翌朝はタイ国境、ですから、神経質な人でない限りは便利な方法です。バスは3列シートの快適なものです。

いつも旅行をする前は数種類のガイドブック、インターネットで細かく調べてから行くのが私の常ですが、ハジャイに関しては情報が少なく、ネットでもほとんど使えるものは見つかりませんでした。タイのハジャイはマレーシアやシンガポール人には人気の高い歓楽地ですが、西欧からの旅行者には「行く必要なし。マレーシア人御用達の街」とまで言われています。この街はパタヤのような歓楽地で、ハジャイといえば売春です。しかし、ハジャイには信仰を集める仏教寺院もあり、安い買い物が楽しめるので、マレーシアやシンガポールの中国系の女性たちにも人気があるのです。それが、2、3年前にイスラム教徒による爆弾テロや暴動などが起きて客足が途絶えているようです。

タイ南部はイスラム教徒の多い土地で、マレー語も少しは通じます。しかし、マレーシアと違うなと感じたのは、ここの人たちの商売熱心さ。さすがタイだな、と思いますが、やはり中国系の人たちが多いからでしょう。道ばたで髪飾り一つ買うのにも、タイ語で延々と「それ可愛い。お嬢ちゃんによく似合うわね。これとあわせると素敵よ・・・・」みたいなことをずーっと笑顔でしゃべり続けているのです。ああ、これがマレーシアやシンガポールにはないよな、と思いました。とても感じの良い人だったので、2つ3つ買ってやりました。

ちなみに、シンガポールやマレーシアからバスで来ると、ほとんどの場合が市内の旅行代理店の真ん前で降ろされるようです。そしてすぐに旅行代理店の中へ入るよう勧められます。帰りのバスチケットを買っておけとか、ツアーがあるぞ、とか、売り込みが始まります。ネットの情報で、「ハジャイのホテルは現地の旅行代理店でバウチャーを買った方が安い」とあったので、私たちはそこの旅行代理店でホテルバウチャーを買いました。本当に安かった。あらゆるサイトのオンライン予約の値段では1200バーツ のホテルがなんと800バーツ。ただ、旅行代理店の付近で客引きする人もいますが、そういうのはインチキらしいです。

P1010199.jpgリペ島というのはタイのタルタオ国立公園の中にあり、マレーシアのランカウイ島とは目と鼻の先なのに、透明度の高い海水と美しい珊瑚礁の島です。ランカウイ島からもスピードボートが出ており、1時間で到着します。私たちはハジャイに1泊し、ハジャイからサトゥン県にあるパクバラという港まで行って、ボートに乗りました。




リペ島

この島にはチャオレイと呼ばれる海のジプシー、原住民が住んでおり、そのため、この島だけは国立公園内の例外として禁漁ではなく、リゾートなど宿泊施設を作るのが許されているのです。ペナンの友人には「あんたよくそんな辺鄙なとこ行くね。電気が24時間使えないんだってよ」と脅されましたが、行ってみたら、騒々しいこと極まりなし。白人が山のようにわんさかいるのです(観光客の90%以上が白人)。穏やかでのんびりとしたマレーシアの島々に慣れていた私は、正直がっかりしました。しかも、ここはイスラム教徒の島だというのに、白人たちは平気でトップレスを楽しんでいます。ローカルの人々を無視した、その傲慢な態度には非常に腹がたちました。もし私たちアジア人が欧米で彼らのマナーに違反したら、どうなるでしょう?
 
とても小さな島なので、島民たちの住む村もすぐそばにあります。電気は通っていますが、村の暮らしはかなり原始的なもので、ドアも鍵もない開け放し状態のトタンでたてた粗末な家屋が並んでいました。年配の女たちはサロン一枚を身にまとっているだけです。こんなところに突然たくさんの白人旅行者が押し寄せているのです。金銭感覚は狂うでしょう。ハジャイの2〜3倍の物価、しかもそのクオリティーはハジャイの半分もありません。これでは計算高いタイ人や中国系は来ませんね。島と陸の街を比べても仕方ないのですが、たった100メートル程度の沖の艀から島へオンボロボートで送ってもらうのにも、街で乗るエアコン付きタクシーの数倍の値段を取られるのですから、どういうものでしょうか。それでも定員をはるかに上回る数の白人たちをぎっしり載せた危険なボートが毎日たくさんやって来るのです。この島はちょっと異様です。

でも風光明媚な美しい島であることは確かです。マレーシアの東海岸では見られない美しい珊瑚や魚も見られました。今は熱にうかされているのでしょう。もう少し落ち着いたら、再度行ってみたいです。
P1010207.jpg←唯一おいしかったのが、このパンケーキ。
マレーシアのロティチャナイ、シンガポールのロティプラターと同じ生地です。これと同じものをプーケットやバンコクでも食べたことがあります。
マレーシアなどではカレーで食べるか、せいぜい砂糖をまぶすくらいですが、タイでは果物などを入れて甘いデザート風にも食べます。これはチョコ&バナナ。
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P1010303.jpgインドネシア帰りの友人からとっても美味しい「生姜の飴―Jahe Special」
というのをもらいました。
Jaheというのはジャワ語で「生姜」のこと。
この飴はジャワ島のバティック染めでも有名なCirebon(チルボン)で作られたものです。
素材は生姜、黒砂糖、タピオカでできたシンプルでナチュラルなもの。
食感はちょっとグミにも似て言いますが、口に含むと生姜のぴりぴり感がハンパではありません!
生姜好きにはたまらない刺激ですが、苦手な人には拷問?のような味かもしれません。
このハンパでない辛さ、聞いたところ幾種類かの生姜をブレンドしてあるそうです。

P1010104.jpg世界中に生姜の種類は何百種あるとも言われていますが、さすが生姜の産地であるインドネシア。小さな飴とはいえ、こだわりが感じられます。
生姜のブレンドは秘密なのでしょうが、辛味の中に甘い香りとス~っとしたすがすがしさが渾然一体となり、つい後を引くおいしさ。
しかもところどころに生姜の切れ端が見え隠れする心憎い演出も。

この飴、ちょっと風邪気味のときにも良いですし、ノドがいがらっぽいな~という時にも、ちいさいのをひとつほお張ると、そこら辺の「のど飴」よりも、ず~~っと効果があるように思えます。
インドネシアにいらっしゃる方、是非とも「生姜飴」をお土産に。
きっと喜ばれると思いますよ。

DH000040.jpg多くの土楼には泊まることができます。(1泊数十元~)
今回訪れた土楼でも何人かの学生ツーリストや西洋人とすれ違いました。部屋にはシンプルなベッドが置いてあるだけですが、眺めは抜群で思ったよりこざっぱりしています。おトイレ事情の悪い「承啓楼」はかなりワイルド派向けですが、「福裕楼」には雰囲気のある中庭を囲んでの素敵な食堂もあり、多くのツーリストが利用する「振成楼」と並んで永定の土楼見学をじっくりしたい人には、おすすめの宿泊所です。予約無しでも部屋は余るほどありますので、泊まれるはずです。
ただし「福裕楼」の場合、大きな荷物を持って川沿いの小道を歩く苦労と、狭く急な土楼の階段を登ることを考えると、車で近くまでいける「振成楼」が一番おすすめかもしれません。

DH000057.jpg独特の家屋に住み、特殊な言葉を話し、独自の文化を育んだ客家の人々は、プラナカンの人々に共通するところが多くありました。世界中で成功した人々の中に客家人が名を連ねています。その多くがこの福建省から輩出されたのです。今回土楼を訪れ現代社会から隔離されたような客家の生活を見て、
あらためて客家人の粘り強さや勤勉さ、家族のつながりを大切にする心を感じました。
そしてとび切りおいしい家庭料理も!





DH000130.jpg

今度は世界じゅうに散らばっている客家をはじめ、華僑の人々の足取りを料理と共に調べてみたいな~と思いました。
プラナカンの人々のように、その土地に同化しつつもどんな文化を築き、まわりに影響を与えていったのか、とても興味がありますね。










 

お待ちかね!念願の客家料理を味わってきました。
多くのツーリストは「振成楼」に併設された食堂で味わうそうですが、せっかくならばツーリスト向けの料理ではなく、アレンジ無しの土着の味が食べたい!と我儘を言い、「承啓楼」の主「江さん」にお願いして、江さんの甥子さんがやっている客家料理のお店を紹介してもらいました。江さんに直接予約をしてもらい、メニューも任せるままにすべてお願いしました。
承啓楼から車で5分。到着したのは「客家飯店」という小さな食堂です。

DH000109.jpg最初に土地の名産、「姫竹の子と漬物の具だくさんスープ」。
漬物は客家料理には欠かせないものですが、甘酸っぱい漬物と姫竹の子がどっさり!直径26センチほどの大きな器で出てきました。漬物の酸味と、しゃきっとした竹の子の舌触りが心地良く、最初は幾分酸味が強いかな~と思いながらも、食べ進むに連れ段々と病み付きになり、結局はほぼ完食。最初の料理にはもってこい、食欲増進の爽快感あふれる具だくさんスープでした。

DH000111.jpg「牛肉と苦瓜の炒めもの」
牛肉を出すのはお客向けと思いますが、めっぽう苦い中国の苦瓜。じっくり下味を施した牛肉と絶妙に絡む苦み野菜との相性は抜群でした。中華炒めは簡単そうに見えて、実は下ごしらえと、火と油のテクニックが肝心なんだな~、と改めて思わせる、ご飯がいくらでも進むおかずです。


 
DH000106.jpg「地鶏と客家薬草のスープ」
客家料理の圧巻は、鶏のおいしさです。もちろん地鶏です。
入っている薬草は、客家の人がスープには必ず入れるという干した木の枝(小さな葉っぱつき)ですが、名前を聞いてもチンプンカンプンで分かりませんでした。薬草と書きましたが、薬膳スープなどにある苦くていかにも薬、という味ではなく、まったく薬草を感じさせず、鶏の味をそのまま楽しむ実にナチュラルな味のスープでした。味付けはたぶん塩とほんの少しのお酒?のみ。鶏のエキスがぎゅっと濃縮されたスープはまさに絶品。
ただし、すくい上げるごとに鶏の首だの、やたらと逞しい爪先だのがにょきっと現れるので、一瞬ぎょっとしながらも、おいしいスープだけをひたすら口に運んでいました。煮込まれた鶏の身はニンニク醤油につけて食べてもいいですよ、と言われコクのあるお醤油につけて味わいました。

DH000103.jpg「さつまいもの葉の炒めもの」
さつまいもの葉っぱは日本ではあまりおなじみではないかもしれませんが、プラナカンたちの住むマレー半島でも好んで食べられている葉っぱです。
南部の葉っぱ炒めでは、空芯菜がポピュラーですが、私はこちら「さつまいもの葉」炒めのほうが好きですね。空芯菜のようにかすかなネバリがありますが、もっと優しく繊細な味がします。つぶしたニンニクとともに、青々と炒められてとても美味しそうでしょう! なんたってみんな地のものですから野菜の味の濃さもひとしおです。

DH000104.jpg「客家焼き豆腐」
見るからに「家常菜」といった飾りっ気のない焼き豆腐ですが、これが実に味わい深いのです。豆腐も手作りしていると聞きましたが、それを油揚げくらいの薄さに切り、醤油とお酒?に少し漬け込み、ざざっとフライパンで焼きしめたものです。豆腐からほんのりただよう醤油とかすかな酸味。飽きずに毎日食べられるまさに家庭の味でした。


c9eb1c82.jpeg「塩鶏」
塩でじっくり蒸した塩鶏は客家名菜のひとつです。
引き締まった地鶏は弾力があり、噛み締めるごとに程よい塩気をおびた肉汁がにじみ出て、もう皮も身もしゃぶりつくしたくなる美味しさでした。
デザートには杏の実がどっさり。
まだ青い状態なので少し酸っぱいのですが、脂っ気の多い中国料理の最後には、この酸味が心地よいものでした。
酸っぱい、苦い、塩辛い、甘い、が献立の中に程よくミックスされており感心しました。五味で言えば唯一「辛い」がありませんが、客家の人たちや福建の人たちは「辛い」をあまり料理に取り入れていません。
今はどこでも重慶系の「激辛火鍋」がもてはやされるようになって来ましたが、
そんなものとは無縁の客家の村でいてほしいと思います。

御覧になっておわかりのとおり、どれもこれも客家料理はシンプルで飾らない中国家庭料理のお手本のような料理だと思います。土地の素材が持つ力強さを最大限に引き出しているお料理でした。
今度は梅菜扣肉とか、色々とまた食べてみたいです!

DH000033.jpg次は永定観光の拠点となっている「永定土楼民族文化村」を訪れました。
ここには西欧の要素を取り入れた海外でも有名な「振成楼」や、優美なお屋敷作りの「福裕楼」や「光裕楼」、ミニミニ・サイズのかわいい円楼「如昇楼」などの土楼郡が、ゆったりと流れる川に沿って建てられています。

永定は盆地なので、何しろ暑い!海からの涼しさがあるアモイとは違い、内陸部独特の蒸し暑さと、ジリジリと肌を刺す強烈な太陽の下、今でも客家の人々は蓑傘に天秤棒をかついで農作業にいそしんでいました。

まず、川に沿って一番奥にある「福裕楼」を訪れました。「林一族」が莫大な資金を投じて1880年に建てたリッチな土楼です。ですからこの楼に住む人は皆、林(リム)さんです。
DH000072.jpgここは円形ではなく、先祖を祭るお堂や住居の部分など、それぞれ独立した5つの建物が一つになり鳳凰の形を模っている五鳳楼スタイルの土楼で、特に鳳凰が羽を広げたかのように見えるのびやかな瓦屋根の美しさは見事です。
4つの中庭を持つこの土楼も巨大で、どこに「福裕楼」があるのか?と延々土塀の回りを歩いてしまいましたが、それが全部「福裕楼」の一角でした。
この土楼には正面に大きな門が3つあり、正面入り口から奥に行くに従い建物が高くなっています。プラナカン屋敷にも欠かせない豪華な彫りを施した巨大な間仕切りがお堂の横にドンとあり、その両サイドをシンメトリーに建物が配置されています。
一番高い楼が5階+屋根裏部屋の造りになっており、もちろん今でも人々が暮らしています。
狭くて急な階段を登りつめ楼の中庭を眺めると、圧倒的存在感で迫ってくる土壁の美しさに感動を覚えました。
よ~~く見ると土楼の窓が洋風でお洒落なのです。
キャンバスのような土の壁に、ニビ色に光る瓦屋根とお洒落な窓。ちょっぴり暮らしてみたくなる土楼でした。

お次は川向こうにある最小の円楼「如昇楼」へ。1901年建立の直径わずか17メートルの円楼ですが、ミニサイズとはいえ、その作りは大きな円楼と変わりはなく、子供たちの声が円楼じゅうに響き渡っていました。

DH000019.jpg永定で最も有名な土楼のひとつ「振成楼」は、1912年に5年の歳月を経て建てられた直径51メートルほどの比較的新しい円楼です。時代の流れもあり、防災を配慮してか、石のレンガを木造建築の中に巧みに取り入れています。回廊や柱にはヨーロッパ風の装飾を模倣した細工が見られ、重厚な円楼の中にハイカラな雰囲気を漂わせているのが振成楼です。
風水にも従い「八卦図」参考に、お堂をはさんで右と左に配置された井戸は陰と陽を意味するなど、この円楼の作りはすべてこの「八卦図」にしたがって配置されているそうです。
しかし、この円楼にはほとんど人は住んでおらず、今は観光以外に土楼の中は宿泊施設やおみやげ売り場、食堂になっています。最初に「承啓楼」を見てしまうと、この「振成楼」が少し物足りなく感じるのは、生活のぬくもりが感じられないからでしょうか。田舎の臭いも含めて・・・・・・・。

 

DH000154.jpg「承啓楼」と書かれた城壁のように巨大な門をくぐり抜けると、度肝をぬかれるスケールの木造建築にびっくり仰天!
折り重なる瓦屋根の迫力にも圧倒されました。
百聞は一見にしかず、とはまさにこのこと。

テレビなどでも客家の円楼は見ていましたが、実物は首を真上に上げても到底目の中に入りきれない、カメラなどにも納めきれない広大さです。

今からおよそ300年前に建てられた「承啓楼」は、直径73メートルほど、木造4階建ての巨大な円楼で、かつては釘一本使っていなかったそうです。(今は補強のため釘が打ってあります。)
土楼の土壁を製作中、一度も雨が降らなかったという曰くつきの土楼で、天の助けを受けた土楼として別名「天助楼」とも呼ばれています。雨の多い福建省では奇蹟のようなことです。

入って正面の道をずんずん歩くと、ちょうど円の中心にあたる部分に祖先をまつるお堂があります。それを取り囲むように一階部分には台所や家畜小屋、生活に欠かせない井戸、おトイレなどの小さな小屋が幾重にも円を描いて連なっています。そう、圧倒されたひとつに「おトイレの臭い」もありました。この楼では人々がまだ昔のままの暮らしをし、ほとんどの家は部屋の前にある壷にためておくため、田舎の香水はちょっと強烈でした。

DH000156.jpgまずは迷路のような一階部分をあちこち探索してみようと歩き回りましたが、不思議なことに何度も同じ場所に出てしまうのです。まるで狐にでもつままれたような感じでした。円楼マジックのなせる技でしょうか。

2階部分は主に納戸になっており、住まいは3階と4階です。
丸い輪を描いて、全部の部屋を見渡たす風景は本当にスゴイ!

居住部分を1周してみようと試みましたが、そこは円楼の防災上の知恵か、所々ブロックされており、一気に回廊を回ることができないようになっていました。又新たに1階まで降り、別の階段を登り直さないと遙か先に見える円楼の住人には会いにいけないようになっているのです。

DH000127.jpgちなみに承啓楼に住む人は皆「江さん」といい、全盛期には600人以上の人々が住んでいたそうですが、今はその半分以下だそうです。
とはいえ、おじいちゃんもお婆ちゃんも皆、生き生きとしており、朗らかなとてもよい顔をしていました。
訪問した時はちょうどお昼時だったため、どの家も一階の台所がフル回転。
中をのぞくと可愛らしい食堂で2人の老夫婦がおいしそうな昼食の最中でした。
こんなのどかな風景と笑顔が、旅の最高の思い出となるのです。

6757c6de.jpeg福建省の旅のもうひとつの目的は、かねてから念願の「客家土楼」を訪れることでした。英語で「Earth Building」と書く土楼には、円形あり、方形あり、五画も八角も宮殿式やDの字型など約30種類以上もの形があり、中国全土に点在すると言われていますが、中でも福建省は客家の土楼がもっとも密集しているところなのです。
大好きな客家料理も是非客家の村で味わってみたい!と期待に胸は大きく膨らみました。

アモイから観光ツアーも出ている比較的行きやすい土楼に、南靖(現在は土砂崩れのため道が普通)と、漳州の平和土楼などがありますが、これぞ!という客家の土楼を見るならば、ここは少し足をのばして「永定(ヨンディン)」に行かなくてはなりません。現在、世界遺産登録申請中という「承啓楼」や「振成楼」などを含めて、約2万件の土楼があると言われている「永定」。

DH000120.jpg今回紹介する「永定県」の土楼の起源は、唐の時代にまでさかのぼると言われていますが、定かではありません。今あるものの多くは、明~清の時代に煙草産業などで栄え、巨万の富を築いた客家の人々が華麗なる土楼を建立したところとしても有名です。
円形(現実には中が空洞の巨大な輪っか)でできた円楼は地震に強く、台風などの雨風にも強く、もとは福建の人が考え出した世界に誇れる建築物なのです。かつて福建省を大地震が襲った時、円楼だけはびくともせず残ったと言われています。
ほぼ昔のままの造りを残す巨大な円楼に、今も人々が暮らす風景、おいしい客家料理との出会いを5回に分けてご紹介しましょう。

アモイから車をチャーターし、いくつもの山々を越えて約3時間半。のどかな棚田風景が広がりはじめ、川が流れる肥沃の地に突如として現れる巨大な円楼。そこが「客家円楼の王様」として名高い「承啓楼」です。

入り口の大きさに目を奪われて足元を見ないでいると、庭を跳ね回るニワトリたちを踏んづけそうになるので要注意です。土を掘り返し、中でじっと卵を産んでいるニワトリもいました。皆、赤茶色の毛がふさふさで丸々と太っており、いかにもおいしそう・・・・。

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プラナカンを中心に、シンガポール・マレーシアの話題をお届け。食べ物・旅行の話題が中心です。
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HN:
Miki & Chie
性別:
女性
自己紹介:
シンガポールとペナンに住んで20数年、プラナカン協会会員です。ライター&コーディネート業務に携わっています。ご依頼・お問い合わせは下記ホームページからお願いいたします。
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