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マレー半島モンスーン寄稿
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しばらくご無沙汰しておりました。
私MIKIは約3週間タイ南部旅行をさせていただきました。

IMG_7479.jpg今回の旅行は半分取材で、一番の目的は以前読者の方からもご案内いただいていたプーケットのプラナカンの調査です。礼儀を重んじるタイで、とくに年配の人たちに話を聞く機会が多かったため、両手を合わせて「サワディカ〜、コップンカ〜」の毎日でした。





IMG_7547.jpgタイ政府観光局長やプーケット・プラナカン協会の皆様には惜しみないご協力を賜り、毎日有無をいわさずあちこち連れ回されて(?)有意義に取材することができました。特に親切にしていただいたのは地元の助教授で歴史研究家のプラニーさん(アジャーン・プラニー ー プラニー先生 と呼ばれる地元有名人)で、かなり大物ババの家なんかも公開してもらいました。


写真)プラナカン協会会長のDr Kosul とお友達で主要メンバーのリョン兄





困ったのはマレーシアやシンガポールとちがってあまり英語がお上手でない人が多いので、話を聞くのが大変でした。とくに人名がタイ名、中国名、あだな、といくつかあって、頭は混乱しっぱなしですし、単語や名称などをタイ文字ではなく欧文スペルにするのが大変でした。彼らのほとんどはタイ語がメインで(とくに南部の方言だそうです)、たま〜に若干福建語がわかる方がおられるくらいです。

プーケットではこのグループをプラナカンとは呼びません。「プラナカン」はマレー語であり、プーケットでは男も女も「ババ」と呼ばれています。で、実際にはババではない中国系のタイ国民もいっぱいいるわけで、「どう定義したらよいのですか?」ときいても、「私たちは中国人だけど、カリーを食べるの」といった、とても書物向きではない回答しか返ってこないことも多く、だんだん取材するうちに、プーケットにおいては、ババのルーツ、歴史、アイデンティティーについてまだ研究がすすんでおらず、自分たち自身もよくわかってないんだ、と感じるようになりました。

取材以前にはここのババはペナンから移住したグループだと聞いていましたが、ペナン組以外にも、他のタイ南部の都市からプーケットにやってきたグループも多く、これらのグループにプーケットが錫鉱山で湧いたときに集まってきた中国系移民の中から福建人のグループがまざりあった人たちのようです。というのも、彼らの多くに取材すると、「私は3代目だ。おじいさんは福建省出身だ」というので、「それではプラナカンじゃなくて新客同然じゃないか」と内心思いつつ取材をすすめていくと、「でもおばあさんはラノーンの出身だ。おばあさんのルーツについては辿りきれない」という答えをよく聞きました。

ご先祖たちの写真を見せていただくと、ファッション・髪型はまさにペナンのプラナカン。ペナンやプーケットが発展する以前にもタイに定住していた中国系のグループが確実に存在しており、これらのグループがペナンのババにも文化的に(衣装・食べ物など)大きく影響を与えていることは確かだと思います。ペナンを含むケダー州一帯はタイの文化圏でもあった時代もあるのですから、それは当然です。

IMG_7787.jpg プーケットタウンの町中を歩いていると、おんぼろコーヒーショップにもニョニャのおばあさんの写真などが飾ってありました。落ちぶれた、というよりも、こちらのババの人たちはさまざまな階級が幅広く存在し、衣装や食べ物などで共通の文化を持っていたのでしょう。反対にペナン、マラッカなど海峡植民地のババたちは突出して裕福な人が多く、こういう人たちが特権階級的なコミュニティーを作り、ババ=上流階級の狭義的なイメージが定着したのだと思いました。しかしもちろん、プーケットでババと呼ばれる人たちにも経済的に成功した人が多かったのは事実です。


写真上)お父上がプーケット市長だった名家タン一族のお屋敷でランチによばれ。
いかにも悪そうなこの恰幅の良いオヤジ二人、「いつも二人で仏様の話ばかりしてるんだ」と真顔で言う・・・。祖父が錫鉱山で億万長者になったそう。その祖父には往年日本人の第2夫人がいて、大変良く面倒を見てくれたのだそう。それを見てその息子(市長になった人)も日本までいって「お嫁さん募集」の広告を新聞に出したんだとか。玉の輿のチャンス、逃したね(笑)。


とにかく印象的だったのは、プラニー先生が「私たちは先祖に感謝しているの。数十日間という長くて危険な船旅を乗り越えてタイに移住してくれた先祖たちにね。このご先祖様たちが移住していなかったら、今頃私たちは中国で悲惨な暮らしをしていたかもしれない。それに移住先がもしビルマやフィリピンだったらどんなことになっていたことか?」という言葉です。今のビルマ(ミャンマー)はご存知のように政情不安定で非人道的なことがおきてますよね。フィリピンやインドネシアでは中国系移民はたびたび虐殺の憂き目にあってきました。彼女たちは他のタイ国民同様にタイ国王と女王を愛しており、この二人のおかげで自分たち中国系も平和に暮らすことができるのだ、と語っていました。

言葉の問題こそあれ、今回ほど楽な取材はありませんでした。プーケットのババたちはフレンドリーで、温厚な人ばかり。さすがタイ、おもてなしの国、来てすぐ初めからもてなされたのはここが初めてです。コップンカ〜
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  • 無題
2008/06/20(Fri)21:05:05 編集
不勉強でタイがここまで中国文化圏なんだと存じ上げませんでした
おもしろいです
  • おかえりなさい☆
Chie 2008/06/21(Sat)02:46:46 編集
Mikiさん

長旅ご苦労様でした。

プラナカン協会の会長さんをはじめ、タイ政府観光局長さん、Dr.Kosul氏、良き御縁に恵まれて、今まで謎の多かったプーケット・プラナカンの世界を紐解くことができて良かったですね!

以前、GTライ氏がプーケットのプラナカンはしつらえも料理もだいぶタイ風で、それはそれは素晴らしいのよ!特にお料理が絶品!とおっしゃっていたようですが、ペナンのプラナカン達が中国系に同化しつつあるのと同じように、プーケットもそんな感じなのかな~~??
いずれにせよ、ルーツを探ることは大変に難しい、一筋縄ではいかないですね。

ただ、写真で見た白亜のバンガローや、プラナカン風のお洒落なホテルなど、まだまだ知られざる素敵なプラナカン・スポットがプーケットには残っているようですね。

  • 無題
Miki 2008/06/21(Sat)10:06:54 編集
大さん

タイでフカヒレが有名なのは潮州系の中国人がたくさんいるからです。中国系移民たちは東南アジアの食文化にも多大な影響を与えています。

ちえさん
プーケットのババたちはたしかに海峡植民地のババと似てはいますが、メンタル的な部分ではまったく違う「異物」について調査している、という感じがありました。それほどタイ化しています。

今回はペナンのクー・サルマさんのお力で大分助かりました。プーケットのババの研究を一番しっかりしているのはサルマさんだと思います。プーケットにも研究者はいますが、海峡植民地やインドネシアのプラナカンについての知識が乏しく、客観的な研究ができているとは思えませんでした。戦後プーケットはペナンよりもバンコクとの結びつきが強くなり、さらに産業も錫鉱山から観光業へと代わり、ペナンとの結びつきはほとんどなくなっています。そのため、プーケットのババたちはどんどんタイ化するようになったようです。
  • 興味深いお話ですね
2008/06/24(Tue)10:26:57 編集
はじめまして。ぺラ州に住んでいるまと申します。
モンスーン寄稿、いつも楽しみにしています。プーケットのプラナカンの皆さんはマレー系やタイ系の人々が入り混じる中でどんな文化を作り上げたのでしょうか?興味深々です。
プーケットのババの方が福建語が少し解るとのこと。タイはほとんど潮州系だと思っていたので意外です。面白い!
大津波のショックがまだ記憶に新しくていたのですが、記事を読んで行って見ようかなと思いました。素敵な記事をありがとうございます。
  • ま さん いらっしゃいませ
Miki 2008/06/24(Tue)12:36:06 編集
ペラ州にお住まいなのですね。私たちが思い出してはため息の出る街(とくに食べ物)、イポーのあたりですか??

プーケットのババは福建系で、少数で潮州系もいるそうです。とはいえ、若い世代の方はほとんど福建語もしゃべれなくなっており、「ポピア」とか特定の単語のみが使われているだけのようで、私の方がまだましじゃん、というありさまです。私もタイといえば潮州系、と思っていました。

考えてみれば、昔は東南アジアは国境らしき国境もなく人々は行き来していました。書物に記載されて残っている史実以外にもさまざまな歴史があったのでしょう。

マレーシアを知る人間としてプーケット(観光客エリアではなくタウンに)を訪れてみてください。いろんなところで共通点を見つけられると思います。また国民性の違い、良いところ悪いところ、いろいろ再発見できると思います。
  • プーケット食べ物編もすてき
2008/06/28(Sat)12:36:13 編集
イポーでなくてシティアワンという町(パンコール島の近く)に住んでいます。
mikiさんのプラナカンへの愛情あふれる記事をいつも楽しみにしていますよ。
それと私もイポーのご飯大好きです。食堂でも屋台街でも人々はそれは楽しそうに食べてる。リラックスの場所ですよね。
  • 無題
Miki 2008/07/05(Sat)12:27:34 編集
ま さん

コメントのレス遅れて申し訳ありません。
またマラッカ行ってました。

プラナカンに愛情たっぷりかどうかは知りませんが、私は昔ながらの風情を保っている部分のマレーシアやシンガポールが好きです。

マラッカの友人と話しているときにシティアワンの話がでました。この友人は私と同じくノスタルジックなマレーシアを愛するフランス人で、イポー周辺はいいぞ、という話で盛り上がりました。彼が収集しているマレー系の木彫りも大変素晴らしいものがあり、マレーシアって本当に穴場だなあと感じています。
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