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マレー半島モンスーン寄稿
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娘のスクールホリディを利用して家族でタイの南部ハジャイ、そしてサトゥン県のリペ島へ行ってきました。
タイのハジャイへはシンガポールからも直行バスが出ており、夜行で13時間の旅 。大変長く聞こえますが、夜7時にバスに乗り込み、寝て起きれば翌朝はタイ国境、ですから、神経質な人でない限りは便利な方法です。バスは3列シートの快適なものです。

いつも旅行をする前は数種類のガイドブック、インターネットで細かく調べてから行くのが私の常ですが、ハジャイに関しては情報が少なく、ネットでもほとんど使えるものは見つかりませんでした。タイのハジャイはマレーシアやシンガポール人には人気の高い歓楽地ですが、西欧からの旅行者には「行く必要なし。マレーシア人御用達の街」とまで言われています。この街はパタヤのような歓楽地で、ハジャイといえば売春です。しかし、ハジャイには信仰を集める仏教寺院もあり、安い買い物が楽しめるので、マレーシアやシンガポールの中国系の女性たちにも人気があるのです。それが、2、3年前にイスラム教徒による爆弾テロや暴動などが起きて客足が途絶えているようです。

タイ南部はイスラム教徒の多い土地で、マレー語も少しは通じます。しかし、マレーシアと違うなと感じたのは、ここの人たちの商売熱心さ。さすがタイだな、と思いますが、やはり中国系の人たちが多いからでしょう。道ばたで髪飾り一つ買うのにも、タイ語で延々と「それ可愛い。お嬢ちゃんによく似合うわね。これとあわせると素敵よ・・・・」みたいなことをずーっと笑顔でしゃべり続けているのです。ああ、これがマレーシアやシンガポールにはないよな、と思いました。とても感じの良い人だったので、2つ3つ買ってやりました。

ちなみに、シンガポールやマレーシアからバスで来ると、ほとんどの場合が市内の旅行代理店の真ん前で降ろされるようです。そしてすぐに旅行代理店の中へ入るよう勧められます。帰りのバスチケットを買っておけとか、ツアーがあるぞ、とか、売り込みが始まります。ネットの情報で、「ハジャイのホテルは現地の旅行代理店でバウチャーを買った方が安い」とあったので、私たちはそこの旅行代理店でホテルバウチャーを買いました。本当に安かった。あらゆるサイトのオンライン予約の値段では1200バーツ のホテルがなんと800バーツ。ただ、旅行代理店の付近で客引きする人もいますが、そういうのはインチキらしいです。

P1010199.jpgリペ島というのはタイのタルタオ国立公園の中にあり、マレーシアのランカウイ島とは目と鼻の先なのに、透明度の高い海水と美しい珊瑚礁の島です。ランカウイ島からもスピードボートが出ており、1時間で到着します。私たちはハジャイに1泊し、ハジャイからサトゥン県にあるパクバラという港まで行って、ボートに乗りました。




リペ島

この島にはチャオレイと呼ばれる海のジプシー、原住民が住んでおり、そのため、この島だけは国立公園内の例外として禁漁ではなく、リゾートなど宿泊施設を作るのが許されているのです。ペナンの友人には「あんたよくそんな辺鄙なとこ行くね。電気が24時間使えないんだってよ」と脅されましたが、行ってみたら、騒々しいこと極まりなし。白人が山のようにわんさかいるのです(観光客の90%以上が白人)。穏やかでのんびりとしたマレーシアの島々に慣れていた私は、正直がっかりしました。しかも、ここはイスラム教徒の島だというのに、白人たちは平気でトップレスを楽しんでいます。ローカルの人々を無視した、その傲慢な態度には非常に腹がたちました。もし私たちアジア人が欧米で彼らのマナーに違反したら、どうなるでしょう?
 
とても小さな島なので、島民たちの住む村もすぐそばにあります。電気は通っていますが、村の暮らしはかなり原始的なもので、ドアも鍵もない開け放し状態のトタンでたてた粗末な家屋が並んでいました。年配の女たちはサロン一枚を身にまとっているだけです。こんなところに突然たくさんの白人旅行者が押し寄せているのです。金銭感覚は狂うでしょう。ハジャイの2〜3倍の物価、しかもそのクオリティーはハジャイの半分もありません。これでは計算高いタイ人や中国系は来ませんね。島と陸の街を比べても仕方ないのですが、たった100メートル程度の沖の艀から島へオンボロボートで送ってもらうのにも、街で乗るエアコン付きタクシーの数倍の値段を取られるのですから、どういうものでしょうか。それでも定員をはるかに上回る数の白人たちをぎっしり載せた危険なボートが毎日たくさんやって来るのです。この島はちょっと異様です。

でも風光明媚な美しい島であることは確かです。マレーシアの東海岸では見られない美しい珊瑚や魚も見られました。今は熱にうかされているのでしょう。もう少し落ち着いたら、再度行ってみたいです。
P1010207.jpg←唯一おいしかったのが、このパンケーキ。
マレーシアのロティチャナイ、シンガポールのロティプラターと同じ生地です。これと同じものをプーケットやバンコクでも食べたことがあります。
マレーシアなどではカレーで食べるか、せいぜい砂糖をまぶすくらいですが、タイでは果物などを入れて甘いデザート風にも食べます。これはチョコ&バナナ。
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今回の旅でもうひとつ嬉しかったことは、お料理の先生であるTan Gek Suanさんからお土産としていただいた手作りのニョニャ・ピクルス(アチャー)です。
スアンさんのお料理や菓子の美味しさは今まで何度か味わってきましたが、アチャーは初めて。日本に帰ってプラナカンの味をすぐに楽しめるように、という心配りにも感激でした。

苦労して持ち帰ったマーティンさんのピクルスもあり、そしてスアンさんのもありと、帰国後にポルトガル風のピクルス&ニョニャのアチャーが同時に食卓に並ぶ、という嬉しい悲鳴となりました。
そして味の違いも明らか。

両者とも野菜は天日干しなので、シャキッとしたクランチーさは変わりませんが、味付けが異なります。
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先にも紹介したマーティンさんのグリーンチリ・ピクルスが甘酸っぱいさらりとした仕上げなのに対し、
スアンさんのはさらに手を加えたこってり濃厚タイプ。
同じくこってりタイプの、マーティンさんの塩魚やマンゴのピクルスとも違うのは、まずエビの風味が強いこと。味のベースはブラチャン(発酵させた蝦ペースト)、チリ、ターメリック、砂糖。これらをすりこぎでつぶしてペーストにし、よーく香り立つまで30分ほど炒めます。お酢ももちろん使いますが、ペーストには入れずに、お酢で野菜を湯がくのです。お酢でさっと湯がいた野菜をペーストで絡め、最後に炒りゴマを加えます。野菜はカリフラワー、にんじん、きゅうり、キャベツ、スライスしたグリーンチリとエシャロットが漬け込んでありました。
この1品だけでも、手間をかけた複雑な味わいを好むニョニャらしさを存分に味わえました。

料理のアクセントとして味わうならマーティンさんのピクルス、おかずのひとつにもなるのがスアンさんのピクルスでしょうか。本当にどちらも甲乙つけがたい素晴らしい味わいに大感激でした。

後日スアンさんに御礼のメールをすると、同じくプレゼントをした友人から「今度は是非売ってくれ!」と言われちゃった、とのこと。

お互いに影響をし合ってきたニョニャ料理とクリスタンの料理ですが、これからもまだまだ研究を続けたいと思います。
東南アジアの様々な食の現場を見てきた中で、高価な素材を扱う高級店が多くのスポットを浴びる中、日常の素材を使いながら、日々コツコツと丁寧な仕事をし続けている職人さんたちへの「手間」に対する評価というか、代償があまりにも少ないことをいつも私たちは思ってきました。

シンガポールの大同餅屋や粽作りの名人リムさん、今回のマラッカ旅行で出会ったピクルスの達人Martinさんもその一人です。
彼の作る絶品ピクルスは一瓶わずか(6~8)リンギット。マレーシアの物価からしたらうなずける価格かもしれませんが、日本人の私たちから考えたら何段階も手順を踏むマーティンさんの丁寧な味作りを思うと、この値段はお涙ものでした。彼が作る菓子類などもわずか2リンギット(65円)というお値段。

IMG_6935.jpg 自宅と厨房と販売所を兼ねたファミリー・ビジネスというのは、多くは美味の宝庫です。
自らを「The Pickle Man」と称するマーティンさんの職人技を目の前に、私たちは大興奮でした。
鍋はかきまぜるわ、つぼの蓋を開けて匂いをくんくんするわ、シークレットとされるブレンド用のスパイスを数え始めるわ、テンションが上がりっぱなしの2人に嫌な顔ひとつせず、親切丁寧に教えてくれたマーティンさん。
普通ピクルス(アチャー:AcarもしくはAcher)というと、私たちのイメージでは酢漬けの野菜や果物を思い浮かべますが、こちらは素材を選ばず漬物感覚。中でも驚いたのは、マーティンさんが美味しすぎて自分達で食べちゃう!といっていたタラコのピクルスでした。
残念ながらお邪魔した時はまだ漬け込みの段階で販売はしておらず。

塩魚やマンゴー、タラコやグリーンチリのピクルスにチンチャーロッ (アミの塩辛)、カリーデバル・ペーストなんかがあるのも魅力的!もちろん全がHOME MADE。いかにもポルトガル(クリスタン)らしいのがパン・スーシ(PangSusis=さつま芋生地で作ったミート・パイ)やパイナップル・タルトなどのスイーツ類も売っていること。重量のこともあり、私たちが購入したのはグリーンチリが入った野菜のピクルスと、マンゴーのピクルス、そして塩魚のピクルスの3種類。
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グリーンチリのピクルスは甘さが際立ち、白酢を使った酸味がまろやか。辛い料理とともにいただくには、もってこいの味付けです。
丸ごとのグリーンチリとともに、エシャロット、人参、キャベツ、キュウリ、ガーリックが漬け込まれ、すべてがシャキシャキの歯ごたえです。
これはもちろん各野菜を天日干しにしているから。
しかもそれぞれの食感が全て異なるため、食べていて楽しいことこの上なし!感激したのはチリの中にぎっしり詰め込まれた極細のグリーン・パパイヤ!
まるでサキイカのような弾力と糸のような極細を作り出すのは、グリーン・パパイヤ(塩と酸味を少々加えたもの)を数日間天日干しにしてから細かく刻んであるからです。しかもパパイヤの中には干し海老の隠し味も。マーティンさんの職人技がひと目で分かる丁寧な仕事ぶりに私たちは驚くばかり。

お酢と砂糖、塩に加え、クリスタン風ピクルスに欠かせないアイテムがマスタード・シード。
インドにも様々な種類のアチャールがありますがインドのアチャールはライムなどの苦味成分を加えることが多いのに比べ、クリスタン風のものは甘さが特徴だとのこと。酸味も柑橘系ではなく、お酢を使います。これはニョニャのアチャーにも影響を与えました。

甘くてシャリシャリ、さっぱり味のグリーンチリ・ピクルスに比べ、マンゴーや塩魚のピクルスのベースとなるのが、マーティンさんのシークレット・レシピと言える様々なスパイスを油で炒め煮したチャツネイ・ミックス。大きな中華鍋にたっぷりの油を入れ、ガーリック、フェネル、クミンシード、コリアンダーシード、チリパウダーにサフラン、ターメリック、ショウガなど様々なスパイスを合わせ、絶えず鍋をかきまわしながら油に風味を閉じ込めること約2時間半。何とも言えない赤茶色になったら出来上がりです。

IMG_7050.jpg マンゴーピクルスはインド料理のカレーソースを煮詰めたようなペーストの中に歯ごたえのいい硬めのマンゴーのスライスが入っており、程よい酸味とほんのりとした甘さがあります。塩気はきつすぎることなく、ライスの友とでもいいましょうか。

塩魚のピクルスの方も同じく濃厚なカレーペーストのようなものの中に干した塩魚の角切りが入っていて、こちらは甘みはあまりなく、塩魚らしい程よい塩気と、魚の風味が生きています。こちらもライスが進みそうな味です。塩魚は大型の魚(タラはありませんので、大型のタイなどを干したもの)を使っており、ポルトガル人の大好きなバカリャウ(塩ダラ)から発想したのでしょうか?

次回の訪問の際にはマーティンさんにクリスタンの料理を教えてもらうことを楽しみにしています。
いつかこのブログでも紹介できれば、と思います。
巷では膨大な数のレシピ本が出版されていますが、満足のいく本に出会えるのはおそらく1年に1冊もありません。
最近はとくにお米の研ぎ方すらしらないような「超初心者むけ」の本がたくさん出ていて、きっとそれが売れるから、出版社もいわゆる料理研究家も、こぞって似たような本ばかりを出すのでしょうが、本来料理好きな人たちはどう思っているのでしょうか。

最近、そもそもレシピとは何か?について考えさせられることがありました。

先日、プラナカンのおばあさんと一緒にマレーシアのケランタン州の料理を作ることにしました。急に思いついたので時間がなく、レシピは現地からではなくネットで見つけてそれをプリントアウトして持って行きました。

レシピの紙を見ながら、分量を調整している私を見て、おばあさんは呆れながら「私はこんな風に料理はしたことがないわ」と言いました。「分量とか手順は全部頭に入っているからね。」と。

そのあとも料理談義をしながら、前回のブログで紹介したマラッカのマーティンさんのアチャーの話をしました。私は「彼のアチャーの野菜はね、本当に見事なくらい日干しされていて、くるっと曲がっている。私はペナンニョニャ料理の本のレシピ通りにやったけどどうしてもああはならない」というと、おばあさんは「レシピ本にすべての秘密が書かれているわけないじゃない?」といい、どうしたらうまく日干しできるのか秘密を明かしてくれました。そして彼女はこうもいいました。「プラナカンはね、とても利己的なの。秘密をただでは教えないわよ。私も何人かのレシピ本を見たけど、私が見れば、『ああ、わざと間違えているな』『嘘を書いてるな』ってわかるわよ。ありえない材料に替えていたり、コツなどをちょこちょこと抜いたりして、絶対自分の味にはできないように書いてあるわよ」と。
彼女いわく、レシピというものは本来その家の味を作り出す「秘密」であり、口外するものじゃない。先祖伝来の味の秘密を口外したら、ご先祖様に申し訳ない、と多くのプラナカンの年寄りたちは思う、というのです。

ただ、時代は変わりました。女性なら必ず料理のたしなみがあって、家族のために主婦が料理をする、という時代ではなくなりました。プラナカンの多くの家でも女性が料理をすることをやめ、外食に頼る日常が多くなり、プラナカンなのに何も料理できない女性がたくさん増えています。これはプラナカンに限ったことではありません。ニョニャ料理のレシピはずっと門外不出でしたが、レシピ本が世にでるようになったのは、こういう傾向が強くなった1960年代頃からだそうで、今やニョニャ料理のレシピ本は腐るほど出ています。

最近研究しているクリスタン料理と関係の深いマカオ料理の本について読みました。この本を書いたのはマカオ人ではなく、外国人女性なのですが、彼女はマカオ人のいろんな家を取材してマカオ料理のレシピを集めました。大変な作業だったと思います。多くの家では口頭のみで伝えられ、記述されて残っているものはほとんどありませんでした。それでも、息子がアメリカに留学し、自分の家の料理が食べられなくて可哀相と思った母親が息子のために書いたレシピなどを入手することができたそうです。

レシピというのは、本来その家の味を伝えるものなんだ、と初めて気づかされたような気がします。だからお年寄りの世代では、本を見ながら料理することなどなく、すべて母親や姑をやっているのを見て覚える、身につけるのが普通だったのでしょう。レシピは正しい、間違っている、というものではなく、「うちではこのやり方、この味」というのが本来の姿なのでは、と。

もう一人、私の友人のプラナカンの料理研究家に、Tan Gek Suanさんという年配の女性がいます。彼女は2冊のレシピ本を出版していますが、その本には写真というものがついていません。そのためこのレシピ本を売るのに相当苦労されたそうです。
あるとき、ある女性から「レシピ本がほしい」と電話があったのですが、写真がついていないのを知ると「要らない」と拒絶されたそうです。しかし、本当に必要なのは写真ではなく、レシピの中身、のはずです。たしかに写真があれば見た目もよいし、わかりやすいです。でも一番重要なのは写真ではなく、レシピの質です。しばらくして、その女性から「雑誌にでていたあなたのレシピでやったら、本当においしかった。やっぱりレシピ本が欲しい」と電話が来たそうです。スアンさんのレシピ本には家伝来の味に近づけるよう、手順が丁寧に書いてあります。欧米の料理研究家に絶賛され、何冊も注文を受けた、と言ってました。わかる人にはわかるのですね。でも写真付きで出版したら、もっとよかったですけどね。

よくレシピ本を見ながら料理を作ると、「あれ、この食材はどこに使うの?」とか「本当にこんな量でいいの?」とか不思議な箇所を見つけることありませんか?
あれは「わざと」そうなのか、それとも編集ミスなのか?
それでなくても説明の足りない本はたくさんありますね。でも、巷では「カンタン」がキーワードの本が人気なのだそうで、複雑な手順を書いたレシピ本は本当に少ないと思います。中華料理なんて特にそうじゃないでしょうか。本場で食べる蝦がどうしたらあんなにぷりぷりになるのか、知りたくて知りたくて仕方がありませんでした。特に飲茶の点心なんて真似できません。でも大概の本には蝦の下ごしらえのコツすら書かれていません。ただ「蝦とひき肉を混ぜる」としか・・・。また書いてあっても、一番肝心なところが抜けていると思います。それか著者自身知らないのか?

ニョニャ料理本でも「(ハーブやスパイスなど)混ぜ合わせたペーストを油で炒める」程度しか書かれていないことが多いですが、よくて「香りが出るまで炒める」と書かれている。何をもって「香りがでる」なのか、初めての人ではわかりません。だって、ハーブやスパイスですから何もしなくても香りが強いです。それを「香りが出るまで」と言われてもどのレベル??ということになります。本当はペーストから油が分離してくるまで、色が変わるまで、そして香りの質が変わるまで、しっかりと炒めなくてはニョニャ料理では失格だそうです。それは大体30分ほどかかります。弱火が基本ですが、弱すぎてもだめです。途中の火加減も大切です。こういうものは「年季」に裏付けされた技術ですよね。(例のおばあさんに脇から「火が弱すぎる!」「まだまだ香り出てない!」とガンガン文句いわれながらペースト炒めをやらされました。こんな人が姑だったら・・・。)

私は複雑でもいいから、年季に裏付けされた技術、こういう手順がかかれた、手抜きのないレシピを集めた本があったらな、と思います。
プラナカンに言わせれば、「それはずうずうしいというもの」、なのでしょうけどね。
マラッカの歴史を語る上で欠かせないもうひとつのグループが、 ポルトガル系ユーラシアン。
 今回の旅行で、ポルトガル広場(ポーチュギース・セトルメントと呼ばれるエリアにある)と、古くから残るユーラシアンのカンポン(村)を訪れました。

マラッカは1511年から1641年にポルトガルの植民地となった歴史があります。
IMG_6939.jpg ポルトガルはマラッカを拠点にアジアへ進出し、日本まで来たのです。大航海時代はまだまだ船旅は危険に溢れていて、母国から女性や妻を連れて来ることは難しかったこともあり、ポルトガル人たちは現地女性と結婚します。またポルトガル政府も植民地化をスムースにするため現地人との婚姻を奨励したので、1604年には200人ものポルトガル人が現地人と結婚した記録があるそうです。

写真)マーティンさんの家にて

ところが、オランダに破れこの土地の支配権を奪われると、プロテスタントのオランダ人からの迫害を逃れる為に自らをポルトガル人ではなく、クリスタンと呼ぶようになったのだそうです。そう、クリスタン=キリスト教徒です。 ・・・・といくつかの資料にはそう書いてあります。

ところが観光地になっているポルトガル広場にある、おまけのような博物館に行き、おじいさんに案内をしてもらいますと、自分たちのことをPortugueseと強調して言い続けるので、「クリスタンではないのですか?」と訊くと、「違います!クリスタンというのは、料理や言語には使えますが、人を指す場合はポーチュギースです。クリスタン人というのは間違いなのです!」と説明されました。
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ポルトガル村の7代目Regedor(リーダー)であるGomes氏(左)と
博物館を案内してくれたOvareeさん(中央)


前にもここのブログで書きましたが、ポーチュギースという言い方をすると、ポルトガル本国の文化や料理、建物があると一般の旅行者は誤解するでしょう。マラッカにはそれとかけ離れたものしかありません。人種も色黒のインド系、マレー系のような人たち、しゃべる言語はクリスタンかマレー語、食べ物もスパイシーな料理。ポルトガル風の建物はなく、せいぜいカトリック教会の遺跡が広場とは遠く離れた場所にあるのみ。

ポルトガル・スクエアにはシーフードバーベキューを食べさせる数軒のレストランが集まっており、中央に設けられたステージで夜ごとポルトガルダンスを見せるのだそうです。私たちが行ったのは昼間でしたので閑散としており、レストランもあてにしていたところが閉まっていましたので、適当に開いているところで食べましたが、クリスタンの名物料理であるはずのカリー・デバルもまったく「なんちゃって」、あまりのひどさに呆れ返りました。

ただこの地域に住んでいるポルトガル系末裔の方たちとお話をできたのは興味深いものでした。可愛いい美少女なども見れてそれはそれでよかったです。陽気なダンスを見ながらシーフード・ディナーを楽しむにはいいかもしれません。

もともとユーラシアンが住んでいたエリアはマラッカに3カ所ほどあり、ひとつはアッパー・テンズと呼ばれた、ほんの一握りの上流階級(おそらくポルトガル系というより、オランダ系、イギリス系の富裕家族)が住んでいたトランケラ通り(トランケラモスクよりも先の方、いまでも大きなバンガローが残っています)、そしてちょっと裕福なグループは中心部にあるBandar Hilir、そして漁師などの「貧しい」グループはPraya Laneと呼ばれるあたりです。

IMG_6930.jpgポルトガル広場にがっかりした話をすると、マラッカの友人が「良い人を紹介してあげる」といい、連れてってくれたのが、ちょうどこのPraya Laneでした。大型ホテルや安宿が多いタマン・メラカ・ラヤのすぐそばです。 ビルが並ぶ街中にぽつんと現れたひなびたカンポンに、マーティンさんというポルトガル系ユーラシアンの家族が住んでいました。すぐとなりにカソリック教会が建っています。しかし、1930年ごろにポルトガル宣教師のかけ声で新規にポルトガル・セトルメントが建てられ、多くの人がそちらへ移住しました。それでもここを離れず残った家もいくつかあります。
 
マーティンさんはもともと漁師でしたが、料理の腕が評判を呼び、クリスタン料理に欠かせない食材やお惣菜を売るようになりました。ここの家は今でも昔のまま。プラナカン料理にもかかせないマラッカならではの食材ブラチャン(蝦のペースト)も彼の手作りです。マーティンさんのキッチンには年季のはいった大きな龜がいくつも並び、料理好きなら身震いしそうな光景が広がっていました。龜の中には、庭になるマンゴーの実で作られたマンゴー・ピクルス、数種の野菜をひとつひとつ日干しにして作った漬け物アチャー、塩魚で作ったサンバルなどなど、どれもこれも期待通りの絶品で私たちはテンション上がりっぱなし。

IMG_6938.jpg しかもマーティンさんは私たちの質問にも包み隠さず話をしてくれ、矢継ぎ早に質問をぶつける私たちを、マーティンさんの奥さんもお兄さんもおじいちゃんもニコニコと見ています。次回は私たちがどうしても食べたいと思っているクリスタン料理のいくつかを作ってもらう約束を取り付け、今回はあまりにも突然の訪問だったのでマンゴー・ピクルスやアチャーを買うだけで我慢しました。
どちらも重いガラス瓶に入っていましたが、ど根性で持ち帰った私たちです。ちえさんなどは空港の手荷物検査で「これは何だ?液体は持ち込めないぞ!!」と差し止められそうになりましたが、丈夫な高級バッグを買って詰め替えてチェックインしたそうです。すごい執念!しかし、そこまでしても持ち帰りたい大切なものでした。


 残念なことにマーティンさんはまもなくこの家を立ち退かないと行けないらしいのです。次回マーティンさんと会うのは、引っ越し先になるのでしょう。 あの緑溢れるひなびたカンポンの、こぎれいな昔ながらの台所が再び見れないと思うと残念でなりません。
混血人種を指す言葉に「クレオール」という単語があります。さまざまな定義があり、黒人と白人が混血した人種をさすとか、植民地生まれを意味するとか、アメリカのルイジアナ州においてフランス、アフリカ、スペインと先住民の混血をさすとかいろいろです。とくにクレオール料理というと、ニューオリンズの伝統料理を指すことが多いようです。

文化人類学者の石毛直道氏によれば、
「言語学におけるクレオールとは、複数の言語が接触することによってできた混成語のことで、それを母語として生活する人々の存在を前提している」なのだそうです。この定義にあてはめるとすれば、私たちが研究するプラナカンはクレオールと呼んで間違いないでしょう。

外国文化の影響を受けた文化は世界中にざらにありますが、こんな小さな地域にプラナカン、クリスタン、はたまたチッティーのようにクレオールの定義にあうグループが3つも存在するマラッカは世界でも珍しいケースなのではないでしょうか。どれもがクレオール語(混成語)を持ち、500年以上も独自の文化を維持してきたマイノリティーグループです。

プラナカンは今日もまだ豊富な財力を持つ家が多いので比較的文化が維持できている方だと思いますが、衰退の一途をたどっているのがクリスタン(マレーシアン・ポーチュギース)とチッティーです。今回のマラッカ訪問では、マラッカに残る古いチッティーChittyの村へも訪問しました。

IMG_1763.jpgチッティーとはインディアン・プラナカンとも呼ばれる、タミール商人の血を引く混血グループで、主にマラッカとシンガポールに存在しています。15世紀のマラッカ王国に南インドのタミール・ナドゥから移民した祖先を持っています。マラッカ王国が崩壊すると、南インドへの行き来がまったくなくなり、土着化しました。彼等はタミール語まじりの独特なマレー語を母語としますが、多くがイスラムではなくヒンドゥ教徒です。
※ちなみにチェッティーとかチェッティヤーと呼ばれるインド系の人々もいます。私は最初混同していましたが、まったく別のグループです。おもに金貸し業を営んでいるグループがチェッティーです。

左)チッティーのヒンドゥ教寺院




チッティー博物館

マラッカのチャイナタウンから程遠くない地域にKampung Gajah Berang という村があり、そこにチッティーのコミュニティーが残っています。しかし、わずか十数世帯と3つの寺院を残すのみです。このエリアには一応チッティー博物館がありますが、ババ博物館などとは比べ物にならないほどお粗末なものです。

チッティーのおばさんが管理人で一生懸命案内はしてくれますが、マレー語がたくさん混ざるので聞き取りにくいだけでなく、展示の説明がマレー語だけなのもどうかと思います。それでも展示を見ると、チッティーたちがいかにチャイニーズ・プラナカンと酷似した衣装を着ていたかなどがざっとわかります。

このあと私たちはポルトガル人の末裔の人たちが住む村を2カ所訪問しましたが、この人たちの話をきくにつけても、マレー人種以外の人種(中国系、インド系含め)の文化が保護されていない現実を目の当たりにしました。

しかし幸いマレーシアにはマレーシア文化遺産保護のNPO組織であるバダン・ワリサン・マレイシア(Badan Warisan Malaysia)や、民間人が組織するペナン・ヘリテージ・トラスト、マラッカ・ヘリテージ・トラストなどが存在し、活発に機能しています。

こういったNPOやNGOの団体、民間人の研究グループの活動対象は歴史的建築物の保護が主ですが、マイノリティー・グループの消え行く伝統文化の保護にもより力を入れて欲しいものです。

シンガポールに移住したチッティーのグループが今度プラナカン協会のようにチッティー協会を設立するという話を聞きました。本人たちも危機感を強く感じているのでしょうね。
THE  MAJESTIC  MALACCA がOpen! (その2)

このホテルで特筆すべきは、世界で唯一ここだけ、という「プラナカン・スタイルの施術を取り入れたスパ(Spa Village)」があることです。
IMG_6695.jpg















中国とマレー両方のイイとこ取りをした独特のセラピーとでも言えばわかりやすいでしょうか。
IMG_6701.jpg12日間にも及ぶプラナカンの壮大な結婚式のために花嫁が執り行うトリートメントを参考にしたプログラムの中で、特に有名なのはクリーム・バス(ヘアーケア&トリートメント)でしょう。
それぞれのトリートメント・ルームの前にはプラナカンを意識した可愛らしいピンツーパガー(プラナカン屋敷などの玄関扉に取り付けられているマレー式スイングドア)がありました。
その他の部屋もプライベート感を味わえるゆったりした造りになっています。

トリートメントはまず中国の漢方に基づき各自の体質を温か冷の診断をしてから、各々の施術方を決めます。ナツメグやマラッカ名産の黒砂糖、タピオカやグアバの葉っぱ、時にはツバメの巣といった南国ならではの天然の素材で執り行うトリートメントは、パンコール・ラウやタンジュンジャラ・リゾートなどでもおなじみ、Spa Villageグループならではのサービスで施されるはずです。


IMG_6712.jpgそしてもうひとつのお楽しみはなんといってもお屋敷の2階にあるダイニング!

「The Mansion」と名づけられたこのレストランは、マラッカで一番洗練されたファイン・ダイニングであること間違いありません。
席数106という大きなレストランですが、個室やアンティーク調のつい立を設けるなどして趣を変えてあり、高い天井に大きな窓、エレガントで落ち着いた雰囲気になっています。

お料理はマラッカらしく、ポルトガル、オランダ、イギリス、そしてプラナカン料理を加えた独創的な料理をサーブ。
私たちが訪れたOpen当初は、まだメニューが定まっていないと言っていましたが、このままマラッカらしさを追求したユニークなメニューを続けて欲しいと願います。


残念ながら今回の旅では味わう時間がありませんでしたが、次回は是非!と楽しみにしているレストランです。

THE MAJESTIC MALACCA
188 Jalan Bunga Raya  
URL www.majesticmalacca.com   
デラックス・ルームがUS.250ドル~(税サービス含まず)
●ホテル客のみが参加できるマラッカ・リバークルーズなどのツアーもあるそうなので、要問い合わせ。
  • ABOUT
プラナカンを中心に、シンガポール・マレーシアの話題をお届け。食べ物・旅行の話題が中心です。
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HN:
Miki & Chie
性別:
女性
自己紹介:
シンガポールとペナンに住んで20数年、プラナカン協会会員です。ライター&コーディネート業務に携わっています。ご依頼・お問い合わせは下記ホームページからお願いいたします。
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