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マレー半島モンスーン寄稿
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シンガポールと国境を接するマレーシアの街ジョホール・バル。
日本語オプショナル・ツアーなんかもよくありますが、シンガポール在住の人はまずそういうのには参加しないですね。ツアー用の見どころには、正直魅力を感じない、という人が多いからではないでしょうか。

一般的にはジョホール・バルへは食事&買い物か、あるいはゴルフに行く人が大半で、街を見て歩く人は少ないでしょう。でもジョホール・バルもなかなか侮れません。こじんまりはしていますがリトルインディアもありますし、素敵なコロニアル建築の建物もいくつか、古い街並の残るエリアもあります。また食べ物は安くておいしいところがたくさんあります。ただ難点は、街が広く見どころも点在しているため、車などの足がないと一般旅行者には不便な点です。

またイミグレーション付近(Jalan Tun Abdul Razak沿いのMerlin Towerから南側の一帯)が繁華街になっているのですが、このエリアは地元の人でもあまり良い顔しないちょっと物騒なエリアで、この辺をうろうろするシンガポール人はまずいません。昼間から麻薬中毒者や売春婦がうろうろしていると言われていますので、注意した方がいいでしょう。(ただ前回ご紹介したシティースクエアはJBでもかなり高級感のあるショッピングセンターで、ここは普通に利用できます)

「よくジョホールバルなんて行くね?」と言うシンガポール人も多いのですが、私が結構面白いな〜と思って目を付けているエリアがイミグレのそばにもあるんです。
それは目抜き通りJalan Wong Ah Fookの一本裏、Jalan TrusとJalan Dhobyの周辺です。
ここには写真のようなカラフルで小さなショップハウスが並んでいます。



Jalan Trusにはパン・パシフィック・ホテルや国際会議場もありますが、ヒンドゥー寺院から海側の一帯がリトル・インディアになっており、インド料理のお店が軒を連ねています。Jalan Dhobyあたりになるとインド色は薄れ、中国系のお店がやや多くなってきます。

P1010008.jpgJalan Dhobyにはジョホール一おいしい海南式チキンチョップのお店があります(歩いて探してみてください。表にそう書いてあります)。またその向かいあたりにインド人の古いベーカリーがありますし、個性的なカフェなんかもあってなかなかいい雰囲気です。






P1010010.jpg







またその一本海側のJalan An Tan Hiok Neeにも個性的なカフェや美容院、そしてこちらには日本人もよく訪れる中国系の昔ながらのベーカリーがあるのです。アンパンやカレーパンとか石釜で焼いたばかりのアツアツが食べられます。うちの娘とかはピーナッツ入りパンがお気に入りみたいです。


海に近い大通りJalan Ibrahimには結構有名なインド料理のお店が並んでいます。辛い南インド料理やフィッシュヘッドカリーを出す食堂ではシンガポールから食べにくる日本人の常連もいると言っていました。

のんびり、こじんまりとしていて、レトロな雰囲気のエリアなのでゆっくり歩いてみると良いでしょう。古い雑貨店で掘り出し物が見つかるかもしれません。

ただこの辺は国立博物館などのツーリストエリアにも近いため、日本人を狙った詐欺師に出くわす可能性もなきにしもあらず。親切に案内などしてくれる暇人なんてマレーシアにだってそうはいないのですから、親切を装って近づいてくる人間は相手にしない。私も一度だけ博物館の付近でしつこくされたことがありましたが、もちろん相手になんかしませんでした。また人通りの少ない時間帯には、ひったくりなどに警戒した方がいいでしょう。
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シンガポールと国境を境とするマレーシアのジョホール・バルに新しいイミグレーション・コンプレックスが昨年12月にオープンしました。

対岸にそびえるシンガポール側イミグレーション・コンプレックスにも遜色のない立派な建物です。



ただ、シンガポール側にこの新コンプレックスにつながる橋の共同建設の提案したものの却下され、橋は以前のままのものを使わざるを得ないため、橋からコンプレックスまで相当な距離ができてしまいました。そのため、実質的に橋を徒歩で渡るのは不可能となってしまったのです(以前は徒歩で国境越えが出来たのです)。

では、ジョホール・バルの街の中心地からの利用方法をご案内します。

中心地にあるショッピングセンター、City Squareの3階にイミグレに通じる歩道橋の入り口が設置されています。3階のOld Town White Coffeeのすぐ隣です。2階に通じる古い歩道橋ではありません。

歩道橋の入り口を見つけたら、とにかく人の波に従って前進するのみ。ただ、ここから出国カウンターまで10分近く延々と歩かなくてはなりません。出国エリアは以前とは違いマレーシア人も外国人も同じホールになっています。ただマレーシア人用と外国人用パスポートでカウンターが別にはなっています。

長距離バスでの国境越えや市内からバスで入る人たちは、多分そんなに歩く必要はないはずだと思います(未確認ですが)。

出国審査を無事通過し、前方に進んでいくと、バス乗り場プラットフォームAまたはプラットフォームBのいずれかに降りることになります。ツアーバスやSBSバス160番、170番を利用する人はプラットフォームAへ、コーズウェイリンクのバス、SMRTバス950番、星柔快車を利用する人はプラットフォームBへ降ります。

あとはバスに乗り込み、橋を渡ってシンガポール入国です。

シンガポールからマレーシアへ入国する際、市内中心部へ向かう人は上記を逆行することになります(シティスクエアに向かってひたすら歩く)。入国審査を通過すると観光局の案内所がありました。

上記の写真はシティリンクから見たコンプレックス。歩道橋を渡っていきます。

写真の左側にカルテックスのガソリンスタンドの看板が見えます。新イミグレがオープンするまではこのスタンドは安いマレーシアのガソリンを入れて帰るシンガポールの車で大繁盛でしたが、今はまったくの閑古鳥。

このスタンドのオーナーはジョホール州のサルタンだそうで、一日6台のコンテナーがガソリンを補充しないとならないほどの大盛況でした。今、車でのイミグレ進入口が別の場所になったため、そちらにあるシェルのガソリンスタンドが大儲けしています。でもカルテックスのスタンドのオバちゃんに聞いたら、そこもしっかりサルタンの所有物なんだそう・・・。

マラッカの荘厳なババの結婚式とは比べ物にならないほど素朴な結婚式、でも村中の人や親戚縁者が一同に会する楽しいカンポン・ウェディング。のどかな田園風景やバティックの洗濯物が色鮮やかなマレー農家の並びを眺めながら着いたところは、やはりマレー農家とはほとんど変わりのない家。しかし規模は大きく、広い敷地内に3軒が建っており、そのうちの一軒はマラッカでいう「ルマアブ」(先祖の位牌を置く家)でした。

IMG_9588.jpg
IMG_9566.jpg
















料理は家族はもちろん村の人たちの協力も得て、裏の台所で手作りです。でっかい鍋に煮込まれたビーフのカレー、チキンのカレー、白キクラゲと鶏足のケラブ(サラダ)、アヤム・ペルチック(クランタン式のバーベキュー・チキン。ココナッツベースのソースを合えてある)などが並びます。炭火であぶったアヤム・ペルチックは外で売っているものよりもずっと美味しく、おみやげにしてもらったほど。でも不思議ではありませんか?チャイニーズの結婚式なのに、中華料理らしいものはひとつもありません。もちろん誰も文句言いませんし、違和感すらないのです。

IMG_9595.jpgゲストのテーブルもたくさん並んでいますが、もう好きなところに勝手に座って、という感じで、知らない人と相席になったりと、日本の堅苦しい結婚式からは考えられない自由さ。好き勝手に料理とって来て食べたり、おしゃべりしたり、そのうちギャンブルも始まります。







写真左)ギャンブルに興じる人々。マレー人みたいな人もいますね。



IMG_9620.jpgしかし、好き勝手に遊んでいるゲストたちはよそに、家族たちは儀式をちゃんと執り行います。祭壇前には料理が並べられ、新郎新婦がお線香を供え、ルマアブにも同様に儀式をやったあと、献茶の儀式ティー・セレモニーが始まります。年長者から順に席に座り、新郎新婦がひざまずいてお茶を捧げます。これは年上の家族・親戚に対し忠誠を誓う儀式です。そのかわりお茶をもらった人たちはアンパオ(祝儀袋)をあげなくてはいけません。アンパオの中身はキャッシュでもいいし、宝石でもいいのです。「とても高くつくお茶」と言われます。







IMG_9607.jpgIMG_9613.jpg祭壇のしつらえもルマアブもババに比べると非常に質素なものですが、古い家はやはり威厳を感じますね。
どうですか?なかなか良い写真が撮れたと思います。






以前から気になっていたマレーシアのクランタン、ここにもプラナカンと呼ばれる人たちがいます。今回彼らの結婚式があるということで、友人のつてをたどってお邪魔してきました。

IMG_9528.jpgまず簡単にクランタンについてお話しましょう。
クランタンは隣のトレンガヌ州とともにマレーシアでももっともイスラム教色の強い州で、マレーシアの与党UMNOではなくPASというイスラム政党の政権下にあり、保守的な土地と言われています。この辺はマレーシアでも有数の美しい島々があるところですが(正確にはトレンガヌ州に属す)、一時「ビキニ禁止令」が出るなどの規制もあり、お隣タイに比べて外国人人気も今ひとつのようです。・・・というと、排他的なイメージですが、ところがどっこい、人々は大変親切でフレンドリー。ただ住民の大多数がマレー人、そして女性はイスラム教徒らしく全員が頭にかぶり物をしている、そんな中では外国人は浮いてしまう、目立つのは確かです。ですが、私はかえって白人様様のタイよりも、外国人に媚びないこちらの方が「正常」に感じます。

写真)お菓子作りで有名な家。本当は王室献上のムルタバ・ラジャで有名な家だが、この季節はお菓子オンリー、残念!!


またここはタイと国境を接し、以前はタイ系のパタニ王国があったところでもあり、豊かな食文化に、ヒンドゥーの人形劇ワヤンクリ、マレー凧、バティックやソンケットといった布、銀細工、伝統的な木彫りなど、マレーシアでももっとも成熟した工芸文化が豊富な土地でもあります。

IMG_9551.jpg今は10月頭までイスラムの人々はラマダン(断食節)です。断食の季節とはいえ、街中いたるところに食べ物屋台が出ます。断食は夜明けから日没にかけて行われるもので、早朝と夜は飲食ができます。そのため日没後のディナーを買い求める客で夕方4時くらいから屋台街は賑わい始め、周辺の道路は渋滞になるほどです。タイに近いせいもあってケラブと呼ばれるサラダ風の料理やウラム(生野菜やハーブ類)も何種類もあり、これらといっしょに鮮やかで種類豊富なスイーツに、カレー類といった総菜がいくつも並ぶ様は圧巻です。全部試したいけど、食べきれない!

そんな食べ物天国状態のクランタンの首都、コタバル市内のお宅に約5日間泊まり込みをさせてもらい、またまた食べ物三昧の日々となってしまいました。中国系の人たちですので、親戚縁者が多い上に、日本人が珍しいとあってか、あちこちからお呼びがかかって大変でした。1人で街歩きする時間がまったくなかったのが残念です。

741d1047.jpegさて、こちらのプラナカンは、マラッカやペナン、シンガポールのグループとは完全に別のグループ、関連性も低いようで、プラナカンの定義ももっとおおらかです。一応プラナカン協会がありますが、とにかくこの土地で生まれた人はすべてプラナカンと認識して良いらしく、とくに特権階級だったわけでもなく、特別な文化を編み出したわけでもなく、ただただ現地に同化してきた中国人たち(福建系)なのです。

ただその同化の度合いはマラッカ以上で、マレー人はもちろん、タイ人との混血も多く、食べ物は豚肉を食べる以外はほとんどマレー人と変わりがないような。もちろん若干違うものもありますが、ニョニャ料理のように中国&マレーをミックスしたフュージョン料理というのではなく、マレー料理あるいはタイ系の料理をそのまま普通に食べています。というわけで、コタバル滞在では一度も中華料理らしいものは食べませんでした(でも中国料理のレストランもありますよ)。

中心部に近いところにカンポン・チナ(チャイニーズ・ヴィレッジ)と呼ばれる地区があり、福建移民らしく「媽祖」を祀る中国寺院もあります。ここにコタバルの中国系有力者の家もあり、プラナカン協会があります。農村部まで行くと姿格好もマレー人と見分けがつかない人が多く(色黒で)、彼らとマレー人の違いは宗教だけ、とも言えるほどです。農村あるいは都心部でも古い家はマレー家屋とほとんど変わりなく、ただ玄関先に赤い提灯や垂れ幕がかかっているので区別が出来る、程度なのです。
IMG_9650.jpg




写真)中心部に近いところの裏路地にて(カンポンチナではない)。周辺のマレー家屋と同じ造りだが、中国人の印、赤いランタンが下がっている





 今回は農村地帯での素朴な結婚式を見学させてもらいました。
また次号で紹介させていただきます。
マラッカを歩いていると、面白い生き物に出くわすことがあります。

レストラン横の排水溝に巨大な彼らを見たときは
『ぎゃっ!アリゲータ出現か!!』と、
興奮のあまりカメラを落としそうになりましたが、
あまりの素早さに、カメラに写ったのは彼らの太いシッポだけでした。

そんなに好きなら川に行けば沢山いるよ!と言われ、
炎天下の中さっそくマラッカ・リバーへ。



世界遺産になる前に、だいぶ整備された川沿いには美しい遊歩道ができ、
夜はライトアップもされロマンチックな雰囲気をかもし出していますが、
昼間の川岸は彼らのお昼寝、兼、ひなたぼっこの特等席なのか!
うようよいました『大トカゲ君』たちが。
1メートル以上はざらです。こりゃ、コモドドラゴンか??
ってくらいどでかいのもいるんです。

人間が来たのを察すると、のっそのっそと歩いて川にドボーンと飛び込みます。
こちらが歩く度に次々と飛び込む音がドボーンばしゃーんと川辺に響き、
それはそれは楽しい?光景が。

さすがのMikiさんも、次々と川に飛び込む彼らを見て
「怖い!」と顔を背けっぱなしでしたが、
古都マラッカで、こんなに豪快な巨大トカゲたちの飛び込みの競演を見れるとは、
爬虫類好きにはたまらないひとときでした!

マラッカへお出掛けの際、一度大きなトカゲ君たちを見たいという方は
是非マラッカ川を散策してみて下さい。
ただし、くれぐれもちょっかいは出されませんよう。
彼ら見かけによらず?獰猛・・・・なはず。
マレーシアのメディア、The Star誌に、私の友人であり、マラッカの歴史研究および保存運動に携わるジョセフィーヌ・チュアさんをインタビューした記事が掲載されました。
大体の内容を抜粋したいと思います。

http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2008/7/13/focus/21814774&sec=focus

Living heritage too must be preserved 

IMG_8703.jpgユネスコ世界遺産都市の認定も我々の対応が間違えば取り消されるだろう、とジョセフィーヌ・チュアさんは語る。
世界遺産たるためには我々の実行力が必要であり、ユネスコが決める規則を遵守できるか否か、にかかっている。

この街の文化遺産を守るためには、より多くの人々の理解を広めるよう国が指導する必要がある。そして、この街の正しい歴史を地元民と旅行者の両方に伝える必要がある。

まずは、マラッカの文化遺産とは何かを知ってもらうことが必要。歴史遺産は建物だけではなく、この街に根付いてきた「生きた」遺産でもあり、それはマラッカの文化、そして人々である。

今は観光客で溢れかえるマラッカの街にもかつては大勢の職人が住んでいた。ところがこれらの職業は現代においては良い金儲けにならないため後継者もなく、この街からどんどん消えている。これに代わって今はみやげ物屋がひしめき、どこもかしこも似たような商品をおき、しかもその大半はマラッカやマレーシア産ではなく外国産のものばかりだ。
観光客が求めるのはこんな街ではない。観光客はこの街の本当の姿を見たがっている。

国にはこれらの伝統的な職業を保護し、次世代につなげてほしい。特別なライセンスを与えるようにするとか、賃貸や課税などの負担を軽減するといった方策をとるべきだ。国や大手企業にはこれらの伝統的職業を守るために財政的な協力を求めたい。

・・・という以上の内容です。

ジョセフィーヌさんは私だけではなく世界各地からやってくる研究者たちにマラッカを案内してきました。私がいつもマラッカに感じることは、マラッカ側がよかろうと思って提供するものと、我々外国人が見たいと思うものにあまりにも隔たりが大きいということです。「バリやタイ、中国産のみやげものが並ぶマラッカなんて見たくない。この街の本来の姿、人々の生活が見たいのだ」という私たちの要求を彼女はよくわかっています。

またババ博物館の館長さんもよく言っていますが、「マラッカやプラナカンの文化に興味を持ってくれるのは、外国人旅行者だけ。アジア人では日本人くらい。ローカルが興味を示さないのが残念でならない。ローカルはジョンカーウォークのみやげもの屋で満足して帰ってしまう」と。

私の本でも「マラッカ裏道散歩」というページで紹介しましたが、土産物屋がひしめくジョンカーから一歩裏に入れば、今でも職人さんたちの姿を目にすることが出来ます。しかし、その大半は高齢者で、この人たちが亡くなれば、もう跡継ぎがいないというのが現実なのです。

そして正しい歴史認識。マラッカには「伝説」が多すぎるのです。たとえば、プラナカンのルーツに利用される「ハンリーポー伝説」もその一つ。マラッカの王国に明国の姫ハンリーポーが数百人の家来を従えて嫁いできたという伝説です。これは『マレー年代記』には記述されていますが、肝心の中国側の歴史書や『明史』にもこんな話はまったく記載されていません。そもそも、世界の超大国であった明が、こんな小さな国に姫を嫁に出すでしょうか?それが本当なら日本にも姫を送っているでしょう。中国の書物には、マラッカ王国の王がやってきたときに、マラッカ王の帰国の際に女を付き添わせたという記録があるのみです。そしてその女は特別な地位を持つ人物ではない、と記されています。
ところがマラッカでは今でもハンリーポー伝説がまことしやかに語られているのです。ちなみに、ハンリーポーではなく、ハンリウというのが実際にマラッカ王の妻になった中国女性の名前だそうです。

また、明からは鄭和が船団を率いて数回マラッカを訪れています。鄭和は明の宦官でしたが、イスラム教徒でした。チェンフンテン寺の建設に鄭和が関わったとか、とんでもない話をする人もいます。常識的に考えてください。イスラム教徒が仏教寺院を建てるでしょうか?

ジャラン・カンポン・クリには、マレーの勇士ハン・ジェバットの墓があります。しかし、この墓は本当に彼のものなのか?そのお墓のつくりは、王族用のつくりになっています。ハン・ジェバットは王族どころか、王に反逆した荒くれ者ですらあり、彼の死体は海に捨てられたと書かれていたと思います。なのに、なぜここに立派な彼のお墓が?

きちんとした検証もせず、いい加減な観光名所を作る、そんなことがユネスコ世界遺産都市にあってはなりません。
非常にタイムリーではありましたが、マラッカに行っておりました。
著者両名揃い、ニョニャ料理研究家の平岡さんも加わり、今回もまたディープな旅に。

その前にシンガポールでは国立博物館のボランティア・グループの方たちには
プラナカン博物館もご案内いただき、誠にありがとうございました。
皆さんのご活躍を心からお祈りいたします。

マラッカ旅行は6日間でしたが、食べ歩き・料理教室の日々でした。
いつもただでさえ食べ歩きに連れ回される私たちですが、料理人の平岡さんも加わったせいか、
あちこちから食事の誘いで毎食ダブルブッキング状態。
皆親切で面倒見の良い人たちが多いのも確かですが、マラッカのうまいものを残らず食べてって! という誇りの現れでもあったと思います。
そのため、朝飯、晩飯2回ずつ食べる、あるいは二手に分かれて食べにいく、なんて毎日でした。
胃がまたまた拡張しちゃうじゃないか!!!

IMG_8710.jpgIMG_8707.jpg














玄関にたつチー氏。

しかし今回もまたまた貴重な体験をさせていただきました。
ババ博物館館長の計らいで、今回ついにあのチー・マンションに入ることができたのです。
これはマラッカでももっとも古い家の一つであるチー家(今の一番若い世代で11代目になるそうです)の、ヒーレンストリートでもっとも目立つ洋館で、ホテル・プリの真ん前に建っているお屋敷です。
IMG_8672.jpg
中身は改装を予定しているため、ほぼもぬけの空状態でしたが、先祖代々のルマアブ(お仏壇)はちゃんと保管されていました。今は数人の管理人が住んでいるだけです。中央に建つ塔の一番上にまで上がらしていただき、屋上からのオ−ルドタウンを拝むこともできました。
左)眼下にホテルプリを見下ろすの図

しかし今回この時期にマラッカを旅行したのは、クリスタンのお祭り、サンペドロ祭を目当てにしていたからです。しかし正直、このイベントは箸にも棒にもかからない、そんなものでした。ここで書くのは控えさせていただきます。

IMG_8500.jpgこれにはちょっとがっかりしましたが、ただ一人、私たちが厚い信頼を寄せるクリスタン料理人、マーティンさんにカリーデバルを習いました。マーティンさんは段取りもよく、準備も万端、てきぱきと料理を教えてくれました。本当は一夜おいた方が美味しいこの料理、それでもクリスタン料理の奥深さを感じさせる素晴らしい料理でした。レストラン用の料理ではなく、本当の家庭料理を味わうチャンスはまずありません。マーティンさんの子供たちも好奇心たっぷりで料理を楽しみにしている姿に心打たれました。そうだよ、マクドナルドなんて食べてる場合じゃないんだよ。自分たちの料理に誇りを持ってね!


では、また次回につづけさせていただきます。
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プラナカンを中心に、シンガポール・マレーシアの話題をお届け。食べ物・旅行の話題が中心です。
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Miki & Chie
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女性
自己紹介:
シンガポールとペナンに住んで20数年、プラナカン協会会員です。ライター&コーディネート業務に携わっています。ご依頼・お問い合わせは下記ホームページからお願いいたします。
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